Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

障害児を殺した母親に同情しますか?

母よ!殺すな

母よ!殺すな

横塚晃一『母よ!殺すな』を読んだ。「この本は、前の世紀に出た最も重要な本の一冊」という帯の言葉通りだと、横塚さんの言葉を数頁読んだだけで、久々に心臓が震えた。

横塚氏は脳性マヒ者として障害者の自立と解放を求め、「優性保護法改訂案」反対、心身障害児実態調査阻止、所得保障確立に向けての取り組みなどを続けた人だ。その活動は、障害者自身にも、生命の尊厳とは何か?を問うものだった。この本は「障害者を一般社会に溶け込ませようとする視点」への問題提起の書である。

1970年、重症児の母親による殺人事件があった。地域住民と障害児父母の会は、母の減刑を求める嘆願書を出した。このことを主題とする本である。今年も、京都で母親による障害児の殺人事件が起こっているが、半世紀経った今でも障害者とその家族の生きにくさはさほど改善されていないのだろう。

ちなみに、私自身も最初は安易に母に同情してしまったのだが、それこそが差別であるということに、本を読み気付かされた。

横塚さんの姿は原一男監督『さようならCP』でも見ることが出来る。

「今まで扱われてきたように扱われないこと、今扱われているように扱われないこと、生きていけること」の重要性を横塚さんは訴えていた。

最近、バスに乗っていたときのことを思い出した。ものすごく道路が混んでいる夜だった。私が乗っていた市バスの運転手が停留所に車いすの人が待っているのをみつけ「あちゃー」と言ったのだった。生憎その停留所はちょっとした坂道の上段差があり、ステップを出しても車いすをバスに乗せるのに手がかかりそうな場所だった。バスの運転手さんは決められた時間をすでに大幅に遅れていたのか車いすのひとを急かしながら様々な人の手を借り、バスに乗せた。バスの中は割と混んでおり、立っている乗客もスペースを空けるのがつらそうだった。家への帰りを急ぐ人はそれで結構な時間をとられたことを心苦く思ったかもしれない。車いすの障害者がバスに乗るのは当然のことなのに、それだけで障害者は肩身が狭くなってしまうであろうと思った。しかし、その車いすの女性は堂々としていたことが印象的だった。

へんに卑屈にならず、堂々としていることこそ、変わりにくい健全者の意識を変えるきっかけになるかもしれないのだと思った。

1977年の段階で、それ以前からも続けられていたというバスの車いす乗車拒否問題は、そこから何十年も経った現在でさえそんな状況だ。

科学技術の変化と比較すると、人々の意識の変化のスピードはなんと遅々たるものなのか。そのうえ、機械文明の発達は人間の画一化を要求するのでますます障害者が住みにくい状況になりつつあると横塚氏は指摘していた。

健全者は健全者としての悲しみを自覚し、なおかつ障害者とのかかわりを通して自己変革、社会変革を進めていかなければならないのだ。