Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

オンラインと対面

コロナで、友人や知人がテレワークになった話を聞いて内心羨ましく思っていた。

猛暑の中、あるいは極寒の中、雨風雪の中通勤せずに済む。通勤などの移動時間も省けるし、自分の裁量で時間を効率的に使える。もちろん感染リスクも低い。

福祉の仕事をしている私は、時短になることも、職場が休みになることも、テレワークをすることもなく職場に通っている。

福祉や医療の仕事のほとんどは、テレワークがおそらく不可能だ。きっとこの先の未来においても、オンラインではなく、対面でなければ出来ないことが多いだろう。

会議くらいはオンラインでやっても良いじゃないか、と思ってはいた。でも、会議でさえも、対面とオンラインは結構違うのではないかな、と思うようになり、私の職場で今現在も三密にならないよう工夫しながら対面で行なっている会議が苦ではなくなった。

具体的にオンラインと対面の違いって何だろう、と、考えている。

手紙から電話へ、チャットからビデオ通話へ、と通信手段はどんどん変化していき、ビデオ通話と対面はほとんど同じようにも思える。相手の表情もわかるし、声のトーンもわかるし、文字だけの情報より伝わるものは大きいのに、対面とは全く違うと感じる。

ひとりだけで考えるのも難しく、他の人はどんな風に考えているのかな、と調べてみた。

面白かったのは、京都大学総長で霊長類学者の山極寿一氏のインタビューだ。

「対面時に相手の反応を通じて自分を知るのが、人間の本性といってもよい」という話が出てきて、なるほど、と思った。

その箇所を引用する。

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そもそも自分の顔を自分で直接見ることさえできないじゃないですか。鏡を使えばよいといっても、鏡に映る姿はあくまで鏡像でしかない。人と会っているときも、自分の顔は見ることができない。相手の反応を見て、自分の話から相手がどういう印象を受けているのか知る必要がある。だから自分を知るためには、生身の誰かがそばにいてくれないとだめなんです。ところがテレワークだと、画面に映る相手の顔しか見えない。リアルに対話しているときの相手の反応は表情だけに出るのではなく、手や足をちょっと動かしたりする、そんな些細(ささい)な動きからでも相手の気持ちを見抜いているのですよ。対面時に相手の反応を通じて自分を知るのが、人間の本性といってもよい。

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もう一つ、心に響いた言葉があった。

「およそあらゆる生物と生物の出会いは曖昧さを許す」というもの。

私は、特に座右の銘としている言葉もなく生きてきたけれど、好きな言葉と聞かれたら、今のところこれを答えようと思うくらい心に刻みたい言葉だと思った。

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およそあらゆる生物と生物の出会いは、曖昧さを許すのです。なぜなら相手の中を見ることはできないから。相手を100%理解するなどできない、という前提から始めるのがヒューマニズムの根幹です。生き物同士の出会いというのは直観が重要で、意識と同時に身体でも考えているのでしょう。そこで反応し合うなかでいろいろな関係性が生まれ、その関係性の中から生きる活力を得るのです。

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https://www.dodadsj.com/content/200721_yamagiwa/