Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

待合にて

救急車を呼ばなければならない事態は突然訪れる。着の身着のまま、戸締りのみして母に付き添う。

救急車が来るまでの時間がとても長く感じられた。

待合で待っているこの時間がとても長い。今、この瞬間にも別れが訪れるかもしれない不安。

次々に救急車で訪れる人の家族が増えていく。皆、気丈にしている。私も泣いたらだめだ。

あれこれ、いま後悔していること、母が今日元気に家に戻ることができたらたくさんしたい。

言葉の処方箋

樋野興夫氏は、2008年がん哲学外来を開設した順天堂大学医学部の病理学者だ。がん哲学外来とは、医師と患者が対等の立場でがんについて語り合う場で、医学的な治療は一切せず、言葉の処方箋を出す。

この本のタイトルは、マルティン・ルターの言葉がもとになっていて、「自分の命より大切なものがある」という樋野氏の考えを表している。

言葉は薬にも毒にもなる。同じ言葉をかけても、それによって慰められる人と傷つけられる人がいる。

相手に対する配慮をもって、言葉の使い方により気をつけて人に接していきたいと思った。

そして、正論より配慮が必要なんだな、ということも深く受け止めた。

弱っている人に、正論を言うより、温かい配慮ある言葉を投げる。たとえ相手が間違っていたとしても頭ごなしに否定しない。相手の言葉に同意をせず、「ああ、そうか」と放っておく力を身につけたい。悪い点を知っていながら、あえて言わない。そういう人を心から尊敬する。そういう人になりたい、と思う。

森茉莉の家政婦

知識人99人の死に方 (角川文庫)

知識人99人の死に方 (角川文庫)

  • 発売日: 2000/10/21
  • メディア: 文庫

障害児者のヘルパーの仕事をしている。家政婦の仕事に似ていると思う。
死について考えるために、荒俣宏監修『知識人99人の死に方』を読んだ。
大好きな森茉莉の章で、茉莉に気に入られた家政婦の話が出てきた。
側から見るとゴミ屋敷のようになっていた茉莉の部屋だが、茉莉は自分の部屋を他人にいじられるのを嫌った。“おばあさん”呼ばわりされるだけでひとことも口をきかなくなった茉莉の家政婦は何人も代わったというが、茉莉のお目がねにかなったという家政婦の話だ。
彼女は、茉莉の本を愛読しており、彼女の性質をある程度把握していたとのこと。茉莉のためにバラ、カーネーションを部屋に飾ったという。味にうるさい茉莉のための洋食をつくったり、風呂嫌いの茉莉の足を洗ったり、トイレットペーパーの色は白ではなくピンクという茉莉のこだわりに合わせて買い物をした。
茉莉のこだわりに付き合うのは大変だったと思うけれど、とても素敵なエピソードだと思った。森茉莉の家政婦になら、なりたいと思った。失敗して口を聞いてもらえなくなる可能性は高いけれど。
家政婦やヘルパーは、利用者に選ばれる。嫌われると、代えられる。
茉莉の家政婦にならなりたい、など言っている時点で、私は利用者を選んでいる。プロとは言われないだろう。
でも、私は家政婦やヘルパーだって相手を選んで良いと思っている。相性というものはあるのだ。

生理の貧困(Period Poverty)について

生理用品を購入する経済的な余裕がないことを「生理の貧困」と言う。コロナ以前にもあったが、コロナ禍の中で、よくニュースを目にするようになった。シングルマザーも生理の貧困に陥っている人が多いという。

そこで「生理用ナプキンは買わなくても良い」という話をしたいと思う。

私は、生理用品をここ20年ほど購入していない。大学時代に、布ナプキンの魅力を知って以降、経済的な理由以外に健康的な理由でも購入したいと思わなくなった。

何を使っているかというと、着古して不要になった衣類などの布を小さく切って使っている。吸収力や使用感は素材によって差があるので、使用に適したものとそうでないものがある。色々試すと好みのものが出てくると思う。

私は生理が始まった小学生の時から、生理用ナプキンが苦手だった。つけていると不快だった。

布ナプキンをはじめて使った20歳くらいの時は、目から鱗が落ちるほど紙ナプキンとの使用感の差に驚いた。生理痛も軽減された。

これほど違うのか、と実感したため、妊娠した当初は赤ちゃんを布おむつで育てたいと思ったほどだ。

布ナプキンは吸収力が安定しており使い心地は良いけれど、洗濯機に直接入れられず、手洗いをするのが手間だ。

そこで、リサイクルを兼ねて着古した衣類などの布を使うようになった。着古した衣類というものは、月に一度の生理の期間使うのにちょうど良いくらい出てくるので、足りなくなり困ったこともない。

デメリットはあまり思いつかないけれど、吸収力のない素材で分厚く使用する場合は、少しずれたり、自転車に乗ったら痛いことがある、というくらいだ。漏れが心配な時は、トイレットペーパーを布でくるんで使うという技もあるが、その時もずれたり痛かったりする。強いていうならデメリットはそれくらいかな、と思う。

経済的な理由でというより、使い心地が良いから、というポジティブな理由で布を利用している私は、生理の貧困ではない人にも、布の使い心地を知って欲しくて布ナプキンをプレゼントすることが多い。

さて、私が高齢者になり、排泄の失敗が多くなったとしたらリハパン、紙おむつを使用することになると思う。

経血と違い、尿や便は量が多いので、布という訳にはいかなそうだ。

紙ナプキンが肌に合わなかった経験から、私は紙おむつも出来れば使用したくない。

可能なら排泄が自立した状態で死にたいな、と思う。

家に明かりが灯っている幸せ

娘も小学3年生になった。2年生の3学期から練習して出来るようになったこととして、お留守番がある。

学童から集団で帰り、自分で家の鍵を開けて、私が家に帰るまでの2時間弱をひとりで過ごすというお留守番だ。

毎日留守番は嫌なようなので、週に2回だけお留守番をしてもらい、他の日はこれまで通り学童に迎えに行っている。私が仕事を終えて学童に迎えに行くとどうしてもギリギリになり、自転車をとばして帰路を急ぐ際は余裕がなかったところ、週2日だけは余裕が生まれた。

お留守番の日、薄暗くなった景色の中で、我が家に明かりが灯っているのを見ると、娘は無事に帰ってきちんと留守番をしてくれているのだな、と思い嬉しくなる。「ただいまー」と言うと「おかえりー」と言ってもらえるという、それだけのことがとても嬉しい。

と同時に、明かりの灯った家で私が待っていて、「おかえりー」と言いたいな、という気持ちも増すのだ。

民生委員の後継者問題

孤独死のリアル (講談社現代新書)

孤独死のリアル (講談社現代新書)

結城康博著『孤独死のリアル』を読む。先日、ゴミ屋敷の本を読んだばかりだが、孤独死と重複する内容も多い。
孤独死のリアル』を読みながら、孤独死それ自体とは別に気が重くなったことがある。
民生委員の後継者問題が深刻化しているという話だ。
私の祖母はかつて民生委員をしており、私自身はDV離婚で住所を秘匿していた頃、公的な証明書に民生委員の印が必要だったため、地域の民生委員と交流を持っていた。
大変な業務の内容と量だということは簡単に想像がつく。福祉の専門知識がない場合や、民生委員自身が頼れる相談者がいない場合は、さらに業務が難しいのではないかとも思う。
後継者をみつけるのが難しく、高齢化が進んでおり、民生委員自身がその役割を負担に感じているのが現状のようだ。
民生委員というものは無報酬であっても、一種の名誉職だから、それなりに地域で経済と時間に余裕のある人が選ばれるのだろうと、『孤独死のリアル』を読む以前の私は思っていた。そのような社会奉仕に意識の高い人がするものだとも思っていた。現実は、なり手がいないため、 ドライな考えの人がすることになる場合もあるようだ。
民生委員がしているようなことは、民生委員という無報酬の非常勤公務員に任せるべきではないと思う。
今日、私は町内会費を5000円ほど支払ったが、PTA同様、町内会の存在も、今のところ私にとって苦痛でしかない。恩恵を受けているとは思えない。
PTAや町内会、民生委員など、やりたくてもする余裕がない人や、やりたくない人までが無理に役を負わされるようなもののあり方は見直していきたい。

藪の中

草薙厚子著『ドキュメント発達障害と少年犯罪』と、川名壮士著『謝るならいつでもおいで』を立て続けに読んだ。この2冊の本は、同じ佐世保小六女児同級生殺害事件を扱っている。どちらも体裁はドキュメントだ。
草薙氏は、元東京鑑別所法務教官である。川名氏は、当時被害者の父親の部下であった新聞記者だ。
それぞれの本の内容に関すること以上に私にとって驚きだったのは、同じ事件について扱った本でありながら、それぞれの本から受ける加害者、加害者の親の印象が違ったということだ。あくまでも私が個人的に受け取った印象ではあるが、大きなズレがあった。
切り取り方、視点が違う。さらに、少年犯罪の不透明性や、加害者が自分自身についてもわかっていない部分があるかもしれないこと、被害者が死亡しており語ることができないことも加わると、物的証拠以外に何を信じられるのか。
ある人が話したこと、誰かがみたこと、記憶していることも、真実かどうかは藪の中だ。語る本人さえわからないかもしれない。同じものを見ても、見え方は違う。