家族介護を考える
- 作者:山村 基毅
- 発売日: 2014/06/16
- メディア: 単行本
4日、厚生労働省が、病気や障害などのある家族の介護をする18歳未満の子ども「ヤングケアラー」に関し、全国の教育現場を対象にした初の実態調査を12月にも始める方針を固めたようだ。
私よりずっと若くても家族の介護に追われている人が少なくない。
山村基殻著『ルポ 介護独身』を読む。
私は社会福祉士資格を取得後、高齢・障害・児童・更生保護など様々な福祉職の道を選べたが、児童を選んだ。その後、今は障害福祉の仕事をしている。高齢分野に気が進まなかった理由はまさにこの本にも書かれていた以下の言葉通りのものだった。
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高齢者の介護の先には、望むと望まざるとにかかわらず、「死」がぶら下がっている。それは否応もなく目に飛び込んでくる。おまけに、その「死」は、まるで介護者をからかうように、ぶらりぶらりと揺れてみせたり、顔を撫でてみせたりする。その都度、介護者は怖気をふるわせ、あるいは怒気をあらわにする。
乳幼児には、少なくとも「見かけ」は輝くばかりの未来が広がっている。「這い這い」から「立ち」、そして「歩く」過程は、生き物としての成長を感じさせるのだから、見守る側はやる気が出るだろう。
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今、障害福祉の仕事をしている中で、もし私がこのご利用者と家族であったら虐待にいたらずに済むだろうか、と考えることがよくある。介護は、肉体的にも精神的にも、大変な仕事だ。仕事だからと割り切れるから、チームで仕事をしているから、四六時中一緒にいるわけではないから、何とかケアを出来ているのではないかと思う。
身体・知的・精神障害の方の家族と話す機会は多いと思う。自分ならとても耐えられないのではないかと思うような毎日を送っている家族も多い。高齢と障害も完全に切り分けることは到底出来ない。障害者も高齢者になる。認知症も精神疾患として認定される。
障害福祉の職場だから、私の職場は平均的な職場以上に困難な状況にある人に理解があるはずだと思うのだけれど、私の目から見る限り、現在独身介護をしている職員に寛容とはあまり思えない。彼ら彼女らは、肩身が狭そうにみえる。