エレン・ケイ
エレン・ケイ(1849ー1926)はスウェーデンの裕福な家庭に生まれ、教師として児童の教育に携わる一方、女性解放運動にも参加し、1900年『児童の世紀』、1903-06年『生命線』を発表、児童権利の擁護者として知られる。その思想は平塚らいてうにも影響を与えた。
『児童の世紀』の中で、ケイは「子どものその親を選ぶ権利」を主張した。『生命線』では、恋愛と結婚の崇高性を訴え私生児に対する差別を招くものと結婚制度のゆがみを告発。社会進出を果たした女性たちを家庭に戻すための具体的な母性保護制作を提案する。ケイは、母の使命に社会的経済的評価を与えようとした。つまり母の職能は社会的にも、国家にとっても重要な財産であるという評価に基づき、子どもが養護を必要とする期間、補助金を支給することによって、家庭外労働を回避させるという提案である。これは、それまで妻が無償で提供してきた育児や家事労働が「金銭的に評価される」ということで、妻が家庭にいながら夫からの経済的自立を果たすということを意味するものだった。
ケイは恋愛を至上としていたが、それゆえに愛の無い結婚よりも恋愛による同棲生活を推奨し、愛情がなくなった場合の離婚については肯定していたという。
日本にもらいてうや山田わか等による紹介で、広く知られるようになったケイの思想は、1918年に始まった母性保護論争で、より多くの女性の目にとまるようになり、1937年の母子保護法につながる。
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保育士の勉強の参考にと、書いていた記事です。
追加情報を得られたらまた更新します。
児童文学作家のアストリッド・リンドグレーンも、女優のイングリット・バーグマンもスウェーデンの方だけれど、スウェーデン女性は、凛として個を確立しているイメージがあるな。
環境活動家グレタ・トゥーンベリも、スウェーデンの方だ。