Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

夏休みの宿題と親の関与

娘の夏休みも今日で終わりだ。夏休みの宿題は、私自身への宿題のようで、すぐに終わらないことが私自身のストレスでもあった。

娘は私とは違う。小学生の頃の私は宿題を早めに終わらせていたけれど、娘も同じタイプなわけではない。

小学校高学年なら、宿題を出来なかったことを本人の責任とも出来るが、小学校1、2年だと少し親にも責任があるような気がする。

学校が臨時休業となっている中、娘は特例預かりで学校に通い、その後学童に通っていた。学校では、基本自習なので、授業はいっさい行われていなかった。小学2年生が自習で出来ることなんて漢字学習や、1年生の復習など限られている。

学校から出た宿題は、在宅の子むけに作られているようで、親がみること前提だった。私の場合、出勤していたけれど、在宅勤務であったとしても、忙しくないわけではないだろう。臨時休業中の大量の課題を仕事をしながら娘にさせるのは大変だった。母親が主婦である家庭が前提の課題に思えた。

そして、この間しっかり勉強出来た子と、出来ない子の学力も大きく開いたのではないかと思う。

夏休みの宿題もしかり。親が働いていると、子どもは夏休みも関係なく、毎朝規則正しく学童に通う。しかし、学童は、勉強や夏休みの宿題をみてくれる場所ではない。

私は、仕事が休みの土日に詰め込み宿題をみることで、やっと最終日の今日までかかり、娘の仕上げさせることができた。

昨年の小学校の自由研究の展示で感じたのは、親の関与が大きい子と、小さい子の格差だった。

海外や国内の様々なところを旅行した記録を多くの写真で表現している子、市販のキットを使っている子など様々。親がどの程度関与したかある程度推測できる。華やかさはもちろん、親が関与した量に比例した。

親が必要最小限の関与だったと思われる素朴な紙粘土の作品が好ましく思えたことを思い出す。