Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

オカルト

オカルト  現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ (角川文庫)

オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ (角川文庫)

  • 作者:森 達也
  • 発売日: 2016/06/18
  • メディア: 文庫

宇宙戦争(字幕版)

宇宙戦争(字幕版)

  • メディア: Prime Video
『オカルト』を読んだ後、『宇宙戦争』を観ながら寝た。
観た夢は、古い市場を何かを探しながら職場の同僚と歩いている夢。その同僚が飼っているカタツムリが手に私の手に強く貼りついていたので手につけたまま歩いていた。けれど、突然それが勢いよく動き出したので落としてしまった。そのカタツムリはなぜかバラバラになってしまい、ほとんど死んでいるような様子になり、同僚が悲しむ。申し訳ないと思って、焦ってカタツムリの散らばった断片を集めて、なんとかカタツムリを組み合わせようとする夢だった。
こんな風に、夢の詳細を記録すると霊感が高まるとかいう話をどこかで聞いたことがある。
『オカルト』は、評判通り、ものすごく面白かった。私は怖がりだけれど、それほど怖くもなく読める。怖がらせることを目的とした話ではなく、取材に基づいたドキュメントだからだ。
『オカルト』と結びつけるわけではないけれど、障害福祉の仕事をしていると、日常的に不思議なことがある。
相手が私にはみえない誰かと話していたり、不思議な話をする。私からみると何もないところで怖がったり、驚いたり。何も起こっていないのに、泣いたり、笑ったり、叫んだりする。叩かれたかと思うと、抱きつかれたりする。
私にはわからない何かをキャッチできる特殊な能力があり、それを受けて反応しているのだ。天気など、私の目にもみえるかたちで環境に働きかけているようにみえる人もいる。
そういう方々と日常を共に過ごしていることが、ありがたいことに思えた。

ハローワークに行った

娘の参観のために休みの希望を出していたが、緊急事態宣言で参観がなくなった。というわけで自由に使える平日の時間ができた。

資格の勉強をするために教育訓練給付金が使えるかどうかハローワークに足を運んで相談した。

失業者で溢れかえっているのではないか、という予想に反してハローワークはガラガラだった。午後一番くらいの時間帯だった。

これまで転職も多かった私は何度もハローワークに行ったことがあるが、私の経験の中で1番空いている状態だった。

コロナ禍で失業した人の波は治っているのだろうか。ほとんど仕事がないことがわかっているから求職者は相談にも行かないのだろうか。予想外の状況に驚いた。

最近、ハローワーク相談員の雇い止め問題をニュースでよく見る。ハローワーク相談員は非正規が多いのだ。

考えてみると、失業給付の手続き以外、求職活動はハローワークを通さず直接できる場合も多い。

仕事に関する情報をインターネットで集めることができ、直接申し込めるならハローワークの存在意義はこの先どう変化していくのだろう。

就労相談に関する仕事や職業訓練の仕事を通算5年ほどしてきただけに、今後のハローワークのあり方を考えてみたいと思った。

【介護福祉士の勉強】ジャージーを購入する

少し浮気をして、ひとつ介護じゃない仕事の面接を受けたけれど幸か不幸な不採用だったため、この一年は浮気せずに介護福祉士試験合格に向けて頑張ろうと思う。3年の実務経験を満たさず、志半ばで違う仕事に就くのはよく考えるともったいない。
実務者研修のスクーリングもはじまり、ジャージー上下が必要と言われたので購入した。
ジャージーを、学校の体操服以外で購入したのははじめてだ。こんな機会でもなければ一生縁がなかったかもしれない衣類だ。普通の動きやすいパンツやトレーナーは不可らしい。介護の演習で、着脱をされる役にもなるので必要だとか。
ジャージーはファッションとしても使われるけれど、言ってみれば作業着だからか、中古でなかなかみつからずだった。それでも、上下千円ほどの中古をみつけることが出来た。
今の職場では介護をしているけれど、ジーパンなど普通の服で介護をしている。
自分が介護をされる場合ジャージーが良いのだろうか、と考えた。
例えば、一緒に車椅子で外出などするなら、制服やジャージーではなく、普通の服で介護して欲しい。職場の名札すらつけて欲しくない。娘や息子のようにみえるような介護をしてもらえると幸せに感じるのではないかと個人として思う。
家庭にヘルパーとして来てもらう時も、清潔で介護しやすい服でありさえすれば私服が嬉しい。
病院や施設ならジャージーでも構わない。制服の方が専門的な知識と技術があるようにみえて嬉しい場合もありそうだ。
障害者も高齢者も出来る限り施設ではなく地域での生活を目指していこうという昨今の風潮がある。
地域での生活を支える介護者は専門職でありながら、地域の一員でもあり、病院や大規模施設の職員より、心理的にはより利用者の個別の生活に近い存在だと思う。そこにおける衣服の選択も、ご利用者の希望に合わせることが出来れば良いのではないか、とジャージーを購入しながら考えた。

デビッド・コパーフィールド

孤児ダビド物語 [DVD]

孤児ダビド物語 [DVD]

  • 発売日: 2011/02/15
  • メディア: DVD

新しい映像に慣れていると、古い映像が一見つまらないものに感じられることがある。
新しい映像に慣れているにも関わらず、戦前1935年の作品、ジョージ・キューカー監督『孤児ダビド物語』という白黒で2時間以上にわたる字幕作品を8歳の娘が飽きずに一緒に観てくれたことを嬉しく思っている。
私は、この作品をダニエル・ラドクリフ主演映画で観ているが、初めて作品に触れた当時の興奮を未だに覚えている。その半世紀前の映画である『孤児ダビド物語』にも飽きることはなかった。
チャールズ・ディケンズが、自らの作品の中で1番気に入っている作品なだけある。きっとこの先小説で読んだり、映画化された作品に触れても、何度でも面白いのだろう。
『デビッド・コパーフィールド』は、モームが、世界の十大小説に選んだ作品だ。ということで、十大小説を全て読みたくなった。スタンダールバルザックドストエフスキーの未読作品がある。

ヒトのひとり親

プラネットアース DVD-BOX 1 episode 1‾episode 4

プラネットアース DVD-BOX 1 episode 1‾episode 4

  • 発売日: 2006/08/25
  • メディア: DVD

プラネットアースを観ていて、自分はヒトという動物なのだなぁ、という認識が強くなった。

『オスとメス=性の不思議』は、という経緯で読んでみた本である。

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鳥の仲間の多くは、両親が揃って世話をします。哺乳類は、雌が母乳を出すので哺乳類というくらいですから、必ず母親が世話をします。父親も一緒に世話をする哺乳類はほんの少ししかありません。

魚や両生類では、まったくなんの世話もしないもの、雄親だけが世話をするもの、雌親だけが世話をするものとまちまちです。両親がそろって世話をする種はほとんどありません。爬虫類のほとんどは、親による子の世話がありません。卵を抱いてまもるニシキヘビや、子の世話をするワニは例外です。

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プラネットアースでみたシロクマも、父熊が不在の中、母熊と子熊が食糧探しの過酷な旅をしていた。両親が揃って世話をする種はほとんどないなら、ひとり親は地球規模で考えるとメジャーなのか、と思った。

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繁殖のために個体が費やす時間とエネルギーは、配偶者獲得のための配偶努力と、生まれた子の生存率を上げるために行う子育て努力に分けられます。ダーウィンは、配偶者獲得のための闘いは、雄に固有の性質と考えました。トリヴァースは、そうではなくて、雄同士が闘うことも雌同士が闘うこともあるだろうと考え、その競争の様子を決めるのは、配偶努力と子育て努力の差し引き関係にあるのだと考えました。

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ヒトの雌は、子育て努力が大きいから、配偶努力は概して小さいのかと何だか腑に落ちた。とすると、子育てをしないであろう年齢の雌は、雄同等に配偶努力をする必要があるのだろうか、というより、子育てを意識しないなら、雄にとっても雌にとっても配偶努力は必要ないものなのなのだろうか。

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難産になったことと子育てに非常な労力がかかることの二つは、ヒトの生物学的特徴といえます。ところが、この二つの特徴はともに、ヒトの女性が単独で子育てをしていくことを不可能にしました。子どもを育てている間も、女性は、まず自分自身を支えていかねばなりませんから、女性が単独で自分の生活を支え、なおかつ子どもを育てていくことは、不可能となるでしょう。地理的、歴史的にさまざまな民族を眺めてみても、母親が単独で子育てをするのが普遍的な社会は一つもありません。

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ヒトがひとり親として生きていることはすごいことなのだと思った。

福祉の仕事について

コロナ禍において、飲食関係や首を切られた非正規雇用の失業者が増えている。それでも、福祉業界は人手不足だ。

なぜなら、7K(キツイ、汚い、危険、帰れない、給料が安い、規則が厳しい、休暇がない)だからである。

私は福祉の仕事をしているけれど、まさに7K。嘘偽りはないと思う。だから離職率も高いのだ。

社会的ステータスも、きれいごとを言わないとするなら、ズバリ低く見られている。肉体的にも精神的にもきつい仕事に関わらず待遇も低く、さらに一般の評価が高くない。この仕事を続けている人はすごいなぁ、と思う。

私はといえば、福祉の仕事内容は、喜びもあるから好きなのである。それなのに、上に挙げたような七重苦諸々で、いつも辞めた方が良いかな、と思い、苦しい気持ちと好きな気持ちを行きつ戻りつしているのだ。

慢性的な人手不足により、辞めると言うことすら、私がほかの業界で働いていた時より勇気のいることだ。欠員を埋めるため、ほかの人にかかる皺寄せが大きい。ただでさえ休日出勤や残業が続く同僚に申し訳ない。

というわけでこの本を読んでみたのである。

著者は完全週休2日制にこだわり、有給休暇や休日出勤の代休を取りやすい環境にすることなどの施策が仕事への誇りにつながる、と考える。また、仕事を通じて人格形成や精神的成長をし、プライドを保ちながら福祉・介護の仕事が社会的ステータスを得られるだけの環境を作っていくことが大事と主張する。ネガティブ7Kをポジティブ7K「希望」「期待」「感謝」「感動」「感激」「可能性」「快感」に変えることが出来れば、働く人が幸せを感じる職場になると言う。

確かに私はポジティブ7Kも、実際仕事の中で感じている。

福祉の仕事の持つ専門性が、正当に評価される世の中になると良い、とただ願うだけではなく、実際にアクションを起こさなければならないのだろうな、と思う。

『精神医学とナチズム』を読む

著者のプロフィールをろくに読まずに読み進み、歴史学者の著書かと思っていたら、著者は精神科医だった。人間の尊厳、安楽死問題などを現代において考える際、ナチズム期の医学をおさえておくのは重要なことと思う。

ナチと関係した精神科医の多くが、戦後何ら裁きを受けることなく社会復帰を果たしているということが興味深かった。

日本も同様だった。満州七三一部隊で人体実験を指揮した人たちは戦後京都大学教授、京都府医大学長などに社会復帰している。

そんな状況の中、戦後のドイツで、歴史を見直し、ナチ国家における安楽死問題を80年代に分析してきたのは、研究・教育職の学者たちではなく、各地の病院に勤務する病院精神科医だったという。自らの勤務する病院でナチズム期に何が行われていたのか、患者がどのように殺害され、殺害に加担した医師らはどのような思想の持ち主だったのか、歴史的背景まで分析を行った。

彼らの歴史と真摯に向き合おうとする態度に敬服する。

この本の著者、小俣和一郎氏も、歴史学者ではなく精神科医だ。

日本の大学の医学部で医学史の講座を常設しているところは少ない一方、ドイツでは医学部の必修カリキュラムとして医学史があるようだ。

日本の医師となる人にも医学史を是非知って欲しいと思う。