家探しにあたり気をつけたこと
ローンで家を購入して住み始め約3年経ちました。新しく引っ越してきた人とも交流したりし、すっかり地域に馴染んできた感じがします。
ひとり親として住む場所を決めるに当たって家を決める際に考えたポイントと、3年経ってみて良かった点や悪かった点など振り返り、以下に挙げておきます。
家を探すにあたり気をつけたポイント→3年後の所感
地域:
・治安が悪くないか。→今住んでいる地域は、治安は悪くないものの、道路幅が狭く車道に対して十分な歩道がありません。見通しが悪い曲がり角などあり、夜間も街灯が暗めなのが難ですが、娘に気をつけるポイントを伝えて通学させています。
・子の通園・通学、自分の通勤に不便な場所ではないか。→家と職場の真ん中に娘の通う学童と小学校があり、大変良かったと思っています。
・食料を購入できるスーパーは近くにあるか。→家から徒歩10分ほどのところにスーパーがありますが、高いのでほとんど利用しておらず、週末少し遠くのスーパーでまとめ買いをしています。スーパーの価格帯も考慮にいれたらなお良かったと思っています。
・小学校で利用できる学童の位置と職場の位置関係。→仕事終わりに学童利用時間内で迎えに行けるかは大きなポイントでした。18時に勤務終了し、直接自転車で18時半の学童利用時間ギリギリに娘を迎えに行っています。そこから徒歩で自転車をひいて娘と家に帰ります。娘の学童は学校内にありますが、遠くの小学校何箇所かから子どもが集まっています。家から小学校が近くても学童が遠い場合、小学生の体力も考慮に入れる必要があります。車迎えではなく一緒に徒歩で帰る場合、子供が疲れていると、自分も家に到着できる時間がおそくなります。
公共の交通機関→車を所有していないので、駅から徒歩15分くらいの場所にしました。転職してもギリギリ通勤が苦にならない駅までの距離かな、と思います。
金銭面:
月々支払わなければならない金額はどのくらいか。→ローン期間は長いですが負担のない額にして良かったです。(ローン期間が短くて負担のある額にも出来ます)
家の間取り:
今後再婚する可能性はあるのか、ないのか。
両親と同居する可能性はあるのか、ないのか。老後一人暮らしになったとしてもやっていけるのか。→荷物の少ないミニマムな生活をしており、あと1人くらい一緒に暮らせそうです。
環境:
日当たり、風通しは良いか。→日中不在の時間が長くて締め切った生活だと、日当たりは重要です。風通しの問題も、エアコン使用と関係が深いので風の通り道を気にしておいて良かったです。
気になる騒音はないか。→静かな環境でストレスフリーです。
収納スペースが十分にあるか。→見逃してしまいがちですが、間取りと同じくらい重要です。うちは、布団生活なので、布団を折り畳んで入れられるかどうか気にしました。収納には困っていません。
その他:
たまたま運が良かっただけのことですが、家の近くの職場にしたら、職場の人も数人家の近くに住んでおり、仲良くなったので、娘にとってちょっとなら預けられる親戚のおばさんのような存在が出来ました。
総合所感:
3年前、忙しい中でも今後悔しないような物件を選べて良かったです。地域が一番重要かもしれません。引っ越し予定がまだ先でも、ゆっくり考えておいて損はないと思います。
ひとり親と非正規格差について
私のまわりのひとり親には非正規で働くことをあえて選ぶ人も多い。正規職員の方が経済面で安定するし、将来的に解雇されるリスクも低く安心なのに、なぜか。
仕事で何かあった時に、子どもを放って仕事を優先させることができないからだと思う。家庭に、子どもを代わりみてくれる人がいない場合、仕事を誰かに代わってもらい、子どもを優先させたいからだと思う。
昨年から気になっていたのは、非正規がコロナ禍でどんどん切られている状況と非正規格差訴訟のニュースだ。私は同一労働同一賃金は当たり前だと思っている。
https://www.jiji.com/sp/article?k=2020101000367&g=soc
非正規職員の責任についてネットで様々な人の意見をみて考えていた。なぜなら、私は今の職場で非正規なのに、正規職員と同一労働であり、自由に休みを取ることができない(正確には自分の穴埋めを出来る人と交渉してその人を確保しなければ休めない)身で、非正規なのに休日出勤も当たり前と思われているからだ。
同じ職員なのだから、正規とか非正規関係なく仕事を第一にしなければならない、という意見が多数派のような印象を実生活で受けているし、ネットをみてもそのような意見の人が多い。非正規だから休みをとりやすいという考えはおかしいという意見もあった。
それならば、自らあえて非正規になる意味はなくなるだろう。正規職員になりたい前提の非正規という感覚の人が多いのはなぜなのだろう。あえて非正規を選んでいる人がいることを知っているから、私自身が正規職員の時は非正規職員に気を遣ったし、同じ非正規であってもアルバイトという立場の人にはより気を遣って、本人が望む場合以外は多くの仕事や責任を押し付けないようにしてきた。
仕事に対する姿勢は、責任感を持ってするべきということには共感できるし、いくら非正規であっても自分しか出来ないようなことをしていたら自ずと責任をもってするだろう。仕事をもっと覚えたかったり、仕事を多くすることで認められたかったり、仕事が好きすぎていつまでもしていたいのなら、正規職員と待遇に差があっても超過勤務や休日出勤がそれほど気にはならないかもしれない。
正規職員より待遇の低い不安定な非正規職員をあえて選ぶ理由は、私の場合プライベート(子どもとの時間や自分の時間)も大事にしたいからである。子どもの行事には休みたいし、残業を常態化させず、せめて子どもと夕食を一緒に食べたいからだ。正規を選んで責任を放棄するより、プライベートを優先させなければならない事情があるから非正規を選ぶというのは、むしろ会社に対して誠実な姿勢であるとさえ思っている。
正規職員も、短期間で辞めたりするし、非正規職員でも長年続ける人もいる。非正規は会社の都合で切ることができる存在である。だとしたら、非正規の方をより好遇にしてこそバランスがとれるという考え方もできるくらいだと思う。
私のように非正規を転々としている人は転職時、長年勤めている人より評価されないことが多い。実際の仕事内容がどうであったかより、履歴書から受ける印象が、長続きしない、責任感のない、というような印象だからなのかな、と思う。
けれど、公務員経験から思う。公務員は様々な異なる部署を異動で経験することによってスキルアップにつなげる考えがあるようだ。ビジネスマナーなど基本的なこと以外は、異動になるといちから覚えなけれならないことが多い。
非正規を転々する中でスペシャリストとしてのスキルは磨かれないかもしれないが、ジェネラリストとしての能力が磨かれるかもしれない。
同じ分野で転々とするなら、多角的な視点を身につけられるのだから、そういう人材も必要だと思う。
コロナ禍のいま、これまで正規職員、非正規職員の別なしに労働を課してきたのなら、皆が苦しい今こそ、正規職員も非正規職員と痛みわけをするのが、道理なのではないかと思う。
生理的嫌悪感
福祉の仕事をする中で生理的嫌悪を抱くことがある。
排泄物に関するものであることが多い。大便、小便、吐瀉物、おなら、唾液、鼻水など。その他、大きな叫び声、汚い言葉遣いなど。
それらを嫌だ、汚い、聞きたくないと思ってしまう時、私の中に罪悪感が生まれる。それを発した人をも一瞬嫌だと思うからだと思う。それが差別や虐待に繋がるのではないかと思ってしまうと、とても怖い。
しかし、よく考えてみると自分の排泄物も、たとえば検便、検尿などの機会があるけれど、嫌だと思う。娘のおむつがとれる前も、愛する我が子の排泄物とはいえ、うんちの処理は好きではなかった。
視覚、嗅覚、聴覚、触覚と、感覚を刺激するものを嫌だと思わないようにするのは難しい。介護の仕事をする中で、かなり慣れはしたけれどやはり嫌なことに変わりはない。
それを発した人を一瞬嫌だと思うけれど、排泄物は、吐き出された瞬間、身体から切り離される。切り離された瞬間、私が嫌悪するのは、吐き出されたものそれ自体であって、吐き出した元となるものではなくなる。私は吐き出される瞬間の相手に対する嫌悪感に罪悪感を抱いている。それが継続的に繰り返されるものであったとしても、その人そのものを嫌いになるわけではない。排泄するからといって自分自身を責めたり、嫌いにはならないのと同じこと。生き物なのだから当然のことだ。
生理的嫌悪感は、本能なのかな、と思う。これを食べてはならない、そこに近付いては危険だ、というようなものを気付かせてくれるもの。
そこに近付く必要がある場合、知識や経験、技術が必要だ。知識や経験、技術があれば、危険を回避できると思う。
本の読み聞かせ再開
- 作者:小松 左京
- 発売日: 1981/08/10
- メディア: 新書
娘は小2になり、もうすぐ小3だ。私は、娘が小さい頃から、寝る前に絵本の読み聞かせをするのを習慣にしていた。就寝時、私が娘と一緒にいられなかった2年間も、代わりにおじいちゃんが読み聞かせをしてくれていた。
年齢が上がるともに、絵本より、文字の多い本を購入することが増え、ここ1年ほど読み聞かせをすることが少なくなっていたが、最近それを再開している。
講談社青い鳥文庫やポプラ社文庫など、子ども向け文庫は、絵本より長いので読み聞かせに向かないと思っていたけれど、3〜5日くらいで分けて読むと、読み聞かせても喉が疲れず読了できることがわかった。
私は読み聞かせる際、自分自身も楽しみたいので、娘も私も2人とも興味を持てる本を読む。
昨晩は、SF作家小松左京が子ども向けに書いた本『宇宙人のしゅくだい』を読み始めたが、娘が寝た後ひとりで読み終えてしまった。実は私にとって初の小松左京体験でもあったのだが、小松左京は、やはり評判通り面白い。
子ども向け文庫の中から『宇宙人のしゅくだい』のように面白い本を探すのがマイブームになりそうだ。
コロナ禍における加湿とアロマ
無印良品 超音波アロマディフューザー 約直径80×高さ140mm 82240764
- メディア: ホーム&キッチン
アロマテラピー検定1級の資格をとったのは、もう5年以上前のこと。
当時のブログ↓
当時、香りのある生活をしていた割に、私はアロマデフューザーを持っていなかったのだが、ついにここ最近導入した。
コロナ禍の中で、乾燥する季節になってきたため、加湿が必要と考えたのだ。加湿機のように大層なものを買っても邪魔になりそうだし購入費用もかかる。洗濯物は、日中留守にしがちなため、ほとんど室内干しである。洗濯物を干していることで加湿になっている気もするのだけど、あまり実感がないので、少し加湿が出来て場所を取らないアロマデフューザーを導入することにした。無印のもの。購入以来、毎日のように香りを楽しんでいる。加湿されている感じもあり、購入したことに満足している。
安息香(ベンゾイン)を入れることが圧倒的に多いことにふと気付いた。
古くから宗教的儀式に用いられてきた香りだ。その名の通り、呼吸器系の不調を整える作用が期待できる香りで、緊張、孤独、不安感を和らげる働きもあるとされる。
効果を意識して選んだわけではなく、様々なエッセンシャルオイルの中からその時の気分で選んでいた香りだった。
けれど、意識せず、コロナ禍という状況に対応する香りを選んでいたことがわかった。
身体はその時必要なものを知っている、と、改めて実感した。
何か無性に食べたくなった時も、不足していた栄養分を多く含むものを自然に選んでいたのだな、と後から気付くことが多い。香りも然り。寝ている間の動きも、体を調整するような動きをしていると読んだことがある。
身体、人間、生物、自然は不思議で面白い。
【介護福祉士の勉強】を始める
アポロとディオニュソス
- 作者:ニーチェ
- 発売日: 1966/06/16
- メディア: 文庫