Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

リトルフォレスト的生活

リトル・フォレスト 夏・秋

リトル・フォレスト 夏・秋

  • 発売日: 2014/12/17
  • メディア: Prime Video

リトル・フォレスト 冬・春

リトル・フォレスト 冬・春

  • 発売日: 2015/06/24
  • メディア: Prime Video

大きな出費が続き、一時的に別居したての頃と同じくらいお金がなくなった。次の給料日までどうやって過ごそうか、真剣に計画を立てた。

いつもの休日は、娘とバスで街に出かけて、本を買って、喫茶店で読書などして、ちょっと珍しいものを購入していたけれど、自転車で図書館に行ったり、水筒やおにぎりを持って野外でピクニックをする生活に変わった。

家にあった保存食も色々消費した。

アマゾンプライムビデオで、リトルフォレストをみた。夏秋編、冬春編ともに。

その丁寧な生活をみて、ずっと放置していた伽耶の実のことを思い出した。

じっくり煎ったり、殻をひとつひとつ剥くという食べるまでの工程が面倒だった伽耶の実をようやく使う気になり、はじめて伽耶の実を食べた。

映画の中に出てきた胡桃ご飯も作ってみて、美味しい夕食を食べることができた。

こんな丁寧な生活を田舎でしつつ、シングルマザーとしてよくメディアに登場していた人がいたな、と思い出した日登美さん。

調べてみたら、とっくの昔に再婚していて、ドイツ人の夫とベルリン在住とか。

強くたくましいシングルマザーモデルはひとり減ったけれど、再婚モデルがひとり増えたな、と淋しさ半分・希望半分の気持ち。

シングルマザーとキャンプ

シングルマザーだと活動の幅が狭まるなぁ、と思うことがある。アウトドアの活動を特に億劫だと感じる。例えば、キャンプ。

娘を学校なりYMCAなり、友人知人のキャンプイベントに参加させることは出来るかもしれないけれど、家族でキャンプと考えると、少し寂しい。私の場合、娘と2人きり。仮に息子と2人きりだったとしてもやはり寂しいだろうと思う。子どもの性別は関係ない。年齢もあまり関係ない。仮に2人、3人子どもがいたとしても、そこに母親ひとりきりだと、気を張ってしまい大変疲れると思う。

テントの設営なり、ご飯作りなり、手分けしてした方が効率が良かったり、子どもをきちんとみていないと少し危険な作業もある。

仮に、そういう作業面をクリアできても、人からどう見えるかも少し気になる。

人目を気にしないようになりたいと思ってはいても、私はクリスマスにレストランでひとりきりでディナーを楽しめないタイプだ。

体力的にも精神的にも、もうひとり人がいるのといないのとでは全く違う。

障害福祉分野で働く人々

ワンダー 君は太陽(字幕版)

ワンダー 君は太陽(字幕版)

  • 発売日: 2018/10/26
  • メディア: Prime Video

障害福祉の仕事をしている。なぜしているのかというと、それらしい理由は思いつかない。興味があったから、なのかなと思う。

高齢者でも、子どもでも、外国人でも、犯罪者でも、昔の人でも、とにかく他者に興味がある。自分と、どこが同じでどこが違うのか。私たちを隔てるものは何なのか。

私が接している方々の多くは、遺伝子疾患により外観からとても目立つ。一緒に歩くと、みられているという感じを私も受ける。

『ワンダー君は太陽』の主人公であるオギーも、遺伝子疾患により顔が一般の人とは違う。映画は、彼と彼を取り巻く人々の物語だ。

印象に残ったのは、彼の姉の葛藤だ。

障害者の親の目は、障害児に向きがちだ。同様に愛情を注いでいるようでも、そうなってしまいがちだ。手がかかる障害児が優先されてしまう。親との時間が中断されると、兄弟姉妹が障害児に対して抱く感情は相当複雑なものになるはずだ。

障害福祉の仕事をしていて感じるのは、職員に障害者の親であったり、兄弟姉妹の割合が多いということだ。その他の職員には軽い発達障害なのではないかと思わせる人もいる。

かく言う私も、発達障害かもしれないと自分のことを思っている。

障害者本人や障害者の両親や兄弟姉妹を支援することが、自分と強く結びついている人がこの分野で多く働いているのかな、という印象を受けている。

オギーのお姉さんも、そんな仕事に就くかもしれないな、など思いつつ観た。

お父さんのことを伝える

お父さんのことを娘に伝えるタイミングが訪れた。

どんな風に伝えたら良いか、ひとりで考えていてわからなかった。というのも、父に悪いイメージを持つようなことを伝えたら、その血を引く自分自身を否定してしまうようになるのではないかと怖かったからだ。一方で、良いイメージを持つようなことだけを伝えたとしても、それならばなぜ一緒に暮らせなくなったのかという疑問が募ることになるだろう。

事実のみを伝える。出来事とその時自分がどのように感じたことだけを伝えたら良いのではないか、と、友人からアドバイスを受け、実施することにした。

お昼ご飯を店で食べながら、娘にもっと聞きたいことはないか確認しながら、自分が一方的に話すことのないように少しずつ伝えた。娘が嫌になったら途中でやめようと思ったけれど、続けて聞きたがった。

娘と元夫と3人で、半年ほどの僅かな期間を過ごした家にも一緒に行ってみた。別の住人が住んでいるようだった。

調停やらを行った家庭裁判所にも行った。

父親の写真も見せた。

あとは、娘が生まれるまで、元夫と私で書いていた娘への手紙を見せていないけれど、今の年齢で理解できそうなことはほとんど伝えたと思う。

娘は、少しスッキリしたようだ。良い意味で

、父への期待がなくなったのかな、と思う。

死後のことを考える

0葬 ――あっさり死ぬ

0葬 ――あっさり死ぬ

ひとりっ子ということもあり、両親が死んだらどうしたら良いのかということが、たまに気になっては忘れている。

先日、父から、死後は火葬後に骨を砕いて河にでも撒いて欲しいというようなことを言われた。

『0葬 あっさり死ぬ』を読む。

私が実家にいた頃は、定期的に祖父母の家に和尚さんが読経しに来て、そのために親族が集まっていた。お盆は、わざわざ父が事前に墓の草刈りに行ったり、駐車場が混むからとタクシーで墓参りに行ったり、納骨堂に行ったりで、仏事は、夏の一大イベントだった。その度に、誰が墓を守っていくのかという話になり、私といとこは、「大丈夫。大丈夫。ふたりで協力して守るよ」みたいなことを、ヘラヘラ墓の前で話していた。

その墓には、大好きな祖母が亡くなって以来2回しか行っていない。お盆だからと参ることもない。改めて、祖母への想いと、墓参りとは私の場合リンクしないということを知った。今も祖母を思い出しただけで会いたくて涙が出るが、墓参りをしていない罪悪感はない。

娘は、私が長年毎年経験してきた、仏事の経験に乏しい。

それは、死者に対する考えに何か影響があるのだろうか、と思う。

祖父母が死んだ時、立派な戒名にお金がかかったようだけれど私は祖父母の戒名をまったく憶えていない。祖母のあとを追うように亡くなった祖父の葬儀も、やたらと大きなもので参列者の人数がすごかった。故人の希望ではなく、喪主の世間体だったと思う。

祖父母の死をきっかけに、私は親戚との縁が遠くなった。冠婚葬祭に参加しないからということが大きいと思う。

話は戻るけれど、冠婚葬祭にお金をかけなくなってきた最近の傾向は、良いことのように思える。

世間体を気にして両親の葬儀をする必要はないな、と思っている。

私も死んだあとのことにそれほどこだわりはないけれど、娘がどうしたら良いか困らないように、エンディングノートは用意しておきたいと思う。

文明の程度は、それが弱い人、頼るところのない人をどのように尊重しているかによって測られるのです。(パール・バック)

母よ嘆くなかれ 〈新訳版〉

母よ嘆くなかれ 〈新訳版〉

パール・バックの娘キャロラインは、先天性の新陳代謝障害、フェニールケトン尿症で、知能の発育が困難な子だったという。

パール・バック『母よ、嘆くなかれ』を読んだ。この本のもとになった原稿は、1950年に雑誌で発表されており、当時、障害児を子に持つということがどのようなことだったのかよくわかる貴重な資料だ。

私は、高校生の頃『大地』を読んで感銘を受けたものの、彼女の他の著作を読んだことが無かった。母になった今、おそらく母になったからこそ、この本のタイトルをみて読んでみたくなった。

パール・バックという人物についてもよく知らなかったが、面白いことが次々にわかった。

彼女は、アメリカ軍人が駐留先の世界各地に捨て去った混血児たちを養子として引き取り、ノーベル賞で得たお金をはじめ、原稿料や印税のほとんどをつぎこんで「ウェルカム・ハウス」を開設・運営していたようだ。常時30人前後の「里親」として養育に励んでいたという。

また、文筆活動をする自分を快く思っていなかった夫とは1934年(42歳の時)に離婚している。

なんだか今の私の関心事(児童福祉・障害福祉ジェンダー)にぴったりで、20年以上の時を経てパール・バックと再会できたことを嬉しく思う。

知能の発育が困難な子どもの、全人口における割合は決して大きいとはいえませんが、数はわずかでも、そういう子どもが生まれたところではどこでも、なんらかの問題を必ず引き起こします。まったく自分の責任でないのに、知能の発育が困難な子どもがいるだけで、家庭は不幸に陥り、親は気が動転し、また学校では教室が混乱状態になってしまいます。そして親が死亡したり、あるいは世話することができなくなるとか、先生方がさじを投げるということになれば、こうした子どもたちは、救う者もなく、巷をさまよい歩き、そして行く先々で乱暴をはたらくようになるのです。さらにまたこうした子どもたちは、ずる賢い者たちの道具として利用され、救いがたい年少犯罪者となり、そしてついには本格的な犯罪への道へ堕ちてしまうことになります。この子どもたちは、自分がどうしたらいいのかわからないので、こうなってしまうのです。ですから、この子どもたちの非行はすべて無邪気な動機から生まれて来るのです。数多い神の子どもたちのうち、この子ら以上に無邪気なものはいないのですから。(パールバック著『母よ嘆くなかれ』)

 

『統合失調症 ぼくの手記』を読む

統合失調症ぼくの手記

統合失調症ぼくの手記

統合失調症の人は、身近にはいなかったけれど、仕事で接したことがある。統合失調症の人の家族の話も聞いたことがある。

約1%、100人に1人が統合失調症を発症するという。その1%の人たちにはおそらく家族がいる。仮に両親だけとしても2人の家族がいるとすると、当事者含めて少なくとも約3%の人が統合失調症と関係していることになる。(という計算をして良いのかわからないけれど)三十人前後のクラスにひとりそのような人がいるのだと考えると、とても身近な問題に思える。

その人は私だったかもしれない。私がこれまで(福祉の仕事を始めるまで)身近な問題として考えるきっかけがなかったことがむしろ不思議なくらいだ。

リチャード・マクリーン著『統合失調症 ぼくの手記』を読んだ。グラフィック・アーティストでもある彼の絵も多く収録されており、絵により伝わってくるものも多くあった。

私が今の仕事で接している方々は統合失調症という診断名がついているわけではない。でも、何かが見えたら聞こえたりしているようだったり、突然駆け出したり、笑ったり、怒ったり、泣いたり。こちらからすると不可解な行動をとられることがよくある。

多くの疾患の当事者の手記を読むことで、私の視野が広がり、その人に何が起こっているのか考えるヒントを得られたら良いと思う。