Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

子育ての重さ(子供乗せ自転車のこと)

先日、子供乗せ自転車を処分した。約8年一緒に過ごし、世話になった自転車なのに、お別れの日はそれほど寂しくはなかった。

元夫と婚姻していた時に購入した自転車だ。関係は悪化しており、経済的暴力も受けるようになっていた頃だったので、自分の貯金で購入した。

普通の自転車に椅子を取り付けるのは安全面が心配だった。子供の重量に耐えられるボディが低めの、しっかりした重みのある自転車を購入した。そのためか電動でもないのに5万ほど費用がかかったことを覚えている。

車体自体が重い。その自転車に子供を乗せて、片道30分ほどの職場まで往復していた。子供乗せシートが前後に付いているので、仕事帰りにスーパーやコンビニに寄るのも、置き場に苦労した。駐輪場に入らないこともしばしば。

場所を取るので、自転車置き場などない別居先の家でも置き場に苦労した。

そして、元夫に住所を知られないように隠れ住んでいたので、自転車によって見つかってしまうのではないかと、目立つところに自転車を駐めておくのが怖かった。元夫は、自転車の形状を知っているからだ。

子供乗せ自転車は大きく目立つ。重く、子供を乗せてこぐととても疲れる。雨の日も大変だ。

子供乗せ自転車に乗っていると、ひとりで乗っている時も、母であるとみなされる。母の自分を意識しなければならない。独身の解放感を束の間すら味わうことができない。子供乗せ自転車はオシャレでもない。

私は子供乗せ自転車がなければやって来れなかったのに子供乗せ自転車を全く愛して来なかった。

でも、感謝の気持ちはある。愛して来れなかったことを詫びて、8年間、辛い時期を共に過ごしてくれた自転車に別れを告げた。

夏休みの宿題と親の関与

娘の夏休みも今日で終わりだ。夏休みの宿題は、私自身への宿題のようで、すぐに終わらないことが私自身のストレスでもあった。

娘は私とは違う。小学生の頃の私は宿題を早めに終わらせていたけれど、娘も同じタイプなわけではない。

小学校高学年なら、宿題を出来なかったことを本人の責任とも出来るが、小学校1、2年だと少し親にも責任があるような気がする。

学校が臨時休業となっている中、娘は特例預かりで学校に通い、その後学童に通っていた。学校では、基本自習なので、授業はいっさい行われていなかった。小学2年生が自習で出来ることなんて漢字学習や、1年生の復習など限られている。

学校から出た宿題は、在宅の子むけに作られているようで、親がみること前提だった。私の場合、出勤していたけれど、在宅勤務であったとしても、忙しくないわけではないだろう。臨時休業中の大量の課題を仕事をしながら娘にさせるのは大変だった。母親が主婦である家庭が前提の課題に思えた。

そして、この間しっかり勉強出来た子と、出来ない子の学力も大きく開いたのではないかと思う。

夏休みの宿題もしかり。親が働いていると、子どもは夏休みも関係なく、毎朝規則正しく学童に通う。しかし、学童は、勉強や夏休みの宿題をみてくれる場所ではない。

私は、仕事が休みの土日に詰め込み宿題をみることで、やっと最終日の今日までかかり、娘の仕上げさせることができた。

昨年の小学校の自由研究の展示で感じたのは、親の関与が大きい子と、小さい子の格差だった。

海外や国内の様々なところを旅行した記録を多くの写真で表現している子、市販のキットを使っている子など様々。親がどの程度関与したかある程度推測できる。華やかさはもちろん、親が関与した量に比例した。

親が必要最小限の関与だったと思われる素朴な紙粘土の作品が好ましく思えたことを思い出す。

この国に『人を殺してはいけない』なんていうルールはない

コロナは、日本に限らず世界全体が経験することとなった非常事態だ。「戦争に突入していく雰囲気とか戦時体制下ってこんな感じなのだろうか」と、緊急事態宣言が出たとき、友人とオンラインで話したりしていた。

それで、赤木智弘著『若者を見殺しにする国-私を戦争に向かわせるものは何か』を思い出し、読み始めた。2007年に話題を読んだ論文「『丸山眞男』をひっぱたきたい-31歳、フリーター。希望は、戦争。」を書いた人だ。当時、私も気にはなっていたのだけれど、読む機会を得られずに10年以上経過してしまった。1500円の新刊本に手が出なかったということもある。

私自身、それから色々あった。経済的浮き沈みも経験した。正社員になっても辞めたり、結婚しても離婚してシングルマザーになったり、保証人もいない状況で家探しもままならなかったり、子どもとの時間を犠牲にし、過労死するかと思うくらい働いて精神的に疲弊してまた辞めたり、保証人問題を解決するために莫大な借金(ローン)をして中古の家を購入したり、、、。

仕事を欠勤して、まとまった時間集中できたため、ようやく読了。

赤木さんの文章は、下手な学者が書いた本より、読みやすく説得力があり、知識量も豊富だった。よく考えてきた方なのだと思う。実体験、リアルに基づいてているからこその説得力で、私自身も赤木さんと同世代の失われた10年をリアルに生きてきたからか、言っていることはよくわかり、共感もした。

ページも終わりに近付き、タイトルの言葉が出てきたときは、ずっと共感しながら読んできた私すら、ショックを受けた。その後、やはりその通りだと思った。

直接的に殺すと「嫌な感じ」が残るので、経済的に殺す。

私自身、確かにかつて「子どもと共に殺される」と感じたことがあった。経済的に、そして精神的に。DV夫からのみならず、この国の仕組みに。

コロナの今、そう感じている人は増えているのではないかと思う。



現況届のこと

夏休みが無かったので、今日、休暇をとりました。欠勤になって給与は減りますが、まぁ、いいです。
私にとって、夏休み(盆休み)も、正月休みも祝日も、たまに土日も働くなんて、これまで有り得ないことだったのですが、福祉職に就いた以上、仕方ないです。これでも、夜勤や宿直を免じてもらっているのでマシなのかな、と思います。
せっかくの休暇ですが、児童扶養手当現況届提出のために役所に行きました。
さて、現況届は、代理申請不可、郵送不可なのですが、どんな理由で不可にしているのだろうと常々思います。不正受給防止のためかな、とは思いますが、それで防止になるとは、さほど思えません。
今回、はじめて気付いたのですが、介護により児童扶養手当一部支給停止適用除外とするには、民生委員・児童委員の確認を得る必要があるようです。
私自身は必要ない書類でしたが、かつて私も住民票と住所が違っていた時期、何かにつけて民生委員のサインが書類に必要でした。だから、この書類を完成させる必要がある人は大変だな、と思います。ひとり親である上に介護をしているというのに。
民生委員に電話で依頼→日時合わせ→民生委員を訪問。たったそれだけのことのようで、民生委員と電話がつながらなかったり、仕事もしている中で時間の都合をつけるのが難しかったり、私も大変だったことを思い出しました。
現況届は、ひとり親にとって夏の一大イベントです。ようやく終えられ、スッキリしました。郵送不可なら、せめて仕事を休まなくても提出できるよう、夜間や土日にも提出できれば良いのに、と毎年思います。

My Child Lebensbornについて(限られた時間の中で出来ること)

My Child Lebensbornは、世界的に話題となったゲームのタイトルだ。歴史に関するスマホゲームを探していたところ、悲しそうな顔の子供の画像が出てきて、その異質性に興味を惹かれた。

ゲームタイトルにあるレーベンスボルンとは、ナチスが欧州各地に設置した、ノルウェー女性とナチス党員を交配させるための福祉施設のことだ。

このゲームは、戦後、ここで生まれた子に対する嫌悪感や差別意識が強い中、プレーヤーがその子を引き取って養子として育てるゲームである。

私のこれまでのゲーム体験の中では想像も出来ないようなインパクトのあるゲームだった。

ゲームに熱中はするのだけれど、ゲームを続けることが辛くなる。非常なストレスを感じつつゲームを続けることになる。

少しずつ努力し、敵に立ち向かっていけばクリアできるという希望もなく、何が正解かわからない中で、手探りで進めていくゲームだ。

このゲームの中で、上手くできていると思ったのは、仕事と生活のバランス感覚だ。

限られた時間の中で、出来るタスクの優先順位をつけなければならない。

子どもがお腹を空かせないように、学校に必要なものを購入するため、プレーヤーは仕事をする。

仕事の間、子どもは淋しい思いをする。子どもの気持ちに寄り添い丁寧な関わりが出来ない。子どもは身体や衣類が汚れたり、お腹を空かせたり、心を閉ざしていく。

子どもとの関わりを優先させると、お金がなくなる。食事も満足に与えられない。そのことによっても子どもはやはり心を閉ざしていく。

特別な日にはケーキでも作って子どもを喜ばせたりもしたい。そこで残業すると、お金は増えるが、子どもと関わる時間が減る。夜遅くなり、店で必要な買い物をする時間もなくなる。

プレーヤーは、夫婦で子育てしているわけではなく、ひとりで子育てをしているようだ。待ち遠しい週末。週末は収入がなくなるし、出来るだけ平日に蓄えたいけれど、子どもは毎日学校で嫌な思いをして傷ついて帰ってくる。プレーヤーに話を聞いてほしいと思っている。平日に残業し過ぎるのもまた子どもが心配になる。

ご飯も、栄養のあるようなものは調理しないと食べさせられない。それで、また貴重な時間が経過する。

このように、シングルマザーとして、非常にリアリティを感じる時間の経過の中で、子どもの心身のケアをしていくゲームなのだ。

子どもは本当の気持ちを隠しているような時も多い。子どもがどんな風に感じているのか、心理面も考えたうえでの行動の選択をプレーヤーは慎重行う必要がある。

子どもをひとりで養う責任感と、子どもの気持ちに寄り添って丁寧に暮らしたい気持ちの狭間を揺れ動きながら少しずつゲームを進めて、なんとかエピソードにたどり着いた。

このようなテーマをゲームにしようとした制作者に脱帽する。

ゲームだからこそ表現できるものの可能性も感じた。

https://apps.apple.com/jp/app/%E3%83%9E%E3%82%A4-%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89-%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%B3/id1298544927


遺失物

娘の健康保険証を失くした。財布に入っていると思っていたのに、病院の受診時に、無いことに気がついた。家にある可能性が高いと心あたりを探したけれど、見つからず。気付いた日の夕方、交番に届けた。

交番に行ったのは、夫が怖くて逃げ込んだ7年前以来だと思う。

コロナ禍のこんな時期でもあるし、どこの誰に娘の名義(扶養する私のフルネームも載っているので私の名義含めて)を使用されるかわからないという不安によるストレスで、久々に元夫と裁判の決着がつくまでの、不安に怯えていた日々を、交番に入ったこともきっかけとなり、思い出した。

自分の一部が欠損しているような感覚だ。相手方の姓のまま、娘と元夫に居場所を知られないように隠れて暮らし、あり得る最悪のケースを想像していた頃のこと。

それでも、保険証など職場に再発行してもらえば済むので、あの時ほどのストレスではない。

こんなことでもなければ思い出せない(思い出したくない)ほどに、苦しくて、出来れば忘れて生きていたい記憶。

幸い、善意の人にみつかり、警察に届けられた娘の保険証は、1週間も経たずに手元に戻ってきた。予想外のところに落としていた。

もう、大切な物はもちろん、大切な人との関係も失いたくない。失くさないよう気をつけ、大事にしていこうと思った。

離婚を描いた児童文学を父の日に読む

アカネちゃんの涙の海 (講談社文庫)

アカネちゃんの涙の海 (講談社文庫)

今日は父の日だ。

子どもがいても離婚するカップル、ひとり親家庭は多いのに、離婚を描いた児童文学はまだまだ少ない。だから、〈モモちゃんとアカネちゃん〉は、少しだけ古さは感じるものの貴重な離婚を描いた作品だ。

著者の松谷みよ子も、二女が1歳半の時に離婚しており、その最中でこの幼年童話を書いている。

松谷みよ子作『アカネちゃんのなみだの海』の中には、ママが書いた絵本を小2のアカネちゃんが夢の中でよむシーンが出てくる。


「これをごらん。」

おばあさんはふりむいて、二本のかれかかった木がうわっている植木ばちをとると、わかいおかあさんのまえにおきました。

「このはちが、おまえさんの家庭だよ。ふたりともつかれて、かれかかっている。」

わかいおかあさんは、じっとはちを見つめました。

死に神がきたから、かれてきたのではないよ。くたびれたから、かれてきて、死に神がきたんだよ。」

わかいおかあさんはうなずきました。

おばあさんは、植木ばちから二本の木をひきぬくと、よく根っこをあらいました。それから森の土をほって、一本ずつ、べつべつにうえました。

すると一本の木はみるみるはっぱをしゃんとさせ、すくすくとのびはじめました。

もう一本の木も、はっぱはしゃんとしましたが、あるきはじめたのです。(『アカネちゃんのなみだの海』より)


この描写に、少し救われた気がした。家族神話も今以上に強かった頃の作品だけれど、お互いを生かすための決断としての離婚の側面をしっかり表現していると思う。


ここのところ娘に離婚のことを少しずつ伝えている。