死後のことを考える
- 作者:島田 裕巳
- 発売日: 2014/01/24
- メディア: 単行本
ひとりっ子ということもあり、両親が死んだらどうしたら良いのかということが、たまに気になっては忘れている。
先日、父から、死後は火葬後に骨を砕いて河にでも撒いて欲しいというようなことを言われた。
『0葬 あっさり死ぬ』を読む。
私が実家にいた頃は、定期的に祖父母の家に和尚さんが読経しに来て、そのために親族が集まっていた。お盆は、わざわざ父が事前に墓の草刈りに行ったり、駐車場が混むからとタクシーで墓参りに行ったり、納骨堂に行ったりで、仏事は、夏の一大イベントだった。その度に、誰が墓を守っていくのかという話になり、私といとこは、「大丈夫。大丈夫。ふたりで協力して守るよ」みたいなことを、ヘラヘラ墓の前で話していた。
その墓には、大好きな祖母が亡くなって以来2回しか行っていない。お盆だからと参ることもない。改めて、祖母への想いと、墓参りとは私の場合リンクしないということを知った。今も祖母を思い出しただけで会いたくて涙が出るが、墓参りをしていない罪悪感はない。
娘は、私が長年毎年経験してきた、仏事の経験に乏しい。
それは、死者に対する考えに何か影響があるのだろうか、と思う。
祖父母が死んだ時、立派な戒名にお金がかかったようだけれど私は祖父母の戒名をまったく憶えていない。祖母のあとを追うように亡くなった祖父の葬儀も、やたらと大きなもので参列者の人数がすごかった。故人の希望ではなく、喪主の世間体だったと思う。
祖父母の死をきっかけに、私は親戚との縁が遠くなった。冠婚葬祭に参加しないからということが大きいと思う。
話は戻るけれど、冠婚葬祭にお金をかけなくなってきた最近の傾向は、良いことのように思える。
世間体を気にして両親の葬儀をする必要はないな、と思っている。
私も死んだあとのことにそれほどこだわりはないけれど、娘がどうしたら良いか困らないように、エンディングノートは用意しておきたいと思う。