Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

生理的嫌悪感

福祉の仕事をする中で生理的嫌悪を抱くことがある

排泄物に関するものであることが多い。大便、小便、吐瀉物、おなら、唾液、鼻水など。その他、大きな叫び声、汚い言葉遣いなど。

それらを嫌だ、汚い、聞きたくないと思ってしまう時、私の中に罪悪感が生まれる。それを発した人をも一瞬嫌だと思うからだと思う。それが差別や虐待に繋がるのではないかと思ってしまうと、とても怖い。

しかし、よく考えてみると自分の排泄物も、たとえば検便、検尿などの機会があるけれど、嫌だと思う。娘のおむつがとれる前も、愛する我が子の排泄物とはいえ、うんちの処理は好きではなかった。

視覚、嗅覚、聴覚、触覚と、感覚を刺激するものを嫌だと思わないようにするのは難しい。介護の仕事をする中で、かなり慣れはしたけれどやはり嫌なことに変わりはない。

それを発した人を一瞬嫌だと思うけれど、排泄物は、吐き出された瞬間、身体から切り離される。切り離された瞬間、私が嫌悪するのは、吐き出されたものそれ自体であって、吐き出した元となるものではなくなる。私は吐き出される瞬間の相手に対する嫌悪感に罪悪感を抱いている。それが継続的に繰り返されるものであったとしても、その人そのものを嫌いになるわけではない。排泄するからといって自分自身を責めたり、嫌いにはならないのと同じこと。生き物なのだから当然のことだ。

生理的嫌悪感は、本能なのかな、と思う。これを食べてはならない、そこに近付いては危険だ、というようなものを気付かせてくれるもの。

そこに近付く必要がある場合、知識や経験、技術が必要だ。知識や経験、技術があれば、危険を回避できると思う。