My Child Lebensbornは、世界的に話題となったゲームのタイトルだ。歴史に関するスマホゲームを探していたところ、悲しそうな顔の子供の画像が出てきて、その異質性に興味を惹かれた。
ゲームタイトルにあるレーベンスボルンとは、ナチスが欧州各地に設置した、ノルウェー女性とナチス党員を交配させるための福祉施設のことだ。
このゲームは、戦後、ここで生まれた子に対する嫌悪感や差別意識が強い中、プレーヤーがその子を引き取って養子として育てるゲームである。
私のこれまでのゲーム体験の中では想像も出来ないようなインパクトのあるゲームだった。
ゲームに熱中はするのだけれど、ゲームを続けることが辛くなる。非常なストレスを感じつつゲームを続けることになる。
少しずつ努力し、敵に立ち向かっていけばクリアできるという希望もなく、何が正解かわからない中で、手探りで進めていくゲームだ。
このゲームの中で、上手くできていると思ったのは、仕事と生活のバランス感覚だ。
限られた時間の中で、出来るタスクの優先順位をつけなければならない。
子どもがお腹を空かせないように、学校に必要なものを購入するため、プレーヤーは仕事をする。
仕事の間、子どもは淋しい思いをする。子どもの気持ちに寄り添い丁寧な関わりが出来ない。子どもは身体や衣類が汚れたり、お腹を空かせたり、心を閉ざしていく。
子どもとの関わりを優先させると、お金がなくなる。食事も満足に与えられない。そのことによっても子どもはやはり心を閉ざしていく。
特別な日にはケーキでも作って子どもを喜ばせたりもしたい。そこで残業すると、お金は増えるが、子どもと関わる時間が減る。夜遅くなり、店で必要な買い物をする時間もなくなる。
プレーヤーは、夫婦で子育てしているわけではなく、ひとりで子育てをしているようだ。待ち遠しい週末。週末は収入がなくなるし、出来るだけ平日に蓄えたいけれど、子どもは毎日学校で嫌な思いをして傷ついて帰ってくる。プレーヤーに話を聞いてほしいと思っている。平日に残業し過ぎるのもまた子どもが心配になる。
ご飯も、栄養のあるようなものは調理しないと食べさせられない。それで、また貴重な時間が経過する。
このように、シングルマザーとして、非常にリアリティを感じる時間の経過の中で、子どもの心身のケアをしていくゲームなのだ。
子どもは本当の気持ちを隠しているような時も多い。子どもがどんな風に感じているのか、心理面も考えたうえでの行動の選択をプレーヤーは慎重行う必要がある。
子どもをひとりで養う責任感と、子どもの気持ちに寄り添って丁寧に暮らしたい気持ちの狭間を揺れ動きながら少しずつゲームを進めて、なんとかエピソードにたどり着いた。
このようなテーマをゲームにしようとした制作者に脱帽する。
ゲームだからこそ表現できるものの可能性も感じた。