ジャン=ジャック・ルソー
ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)は、フランスに啓蒙思想家の一人だ。フランス革命に多大な影響を及ぼし、近代民主主義を芽生えさせるのに貢献した。『社会契約論』で、はじめて「子どもは生きる権利がある」と主張し、その出版の同年、「これはわたしの最後の最上の著作だ」といいきった著作が『エミール』である。
「『エミール』を読みとく」を読み、ルソーは自分の子どもを孤児院に預けていたという面白い事実を知った。彼は33歳の時に、生涯の伴侶テレーズと出会い、彼女との間に5人の子どもをもうけているのだが、その5人ともを貧しさと家庭環境の劣悪さを理由とし、孤児院に預けていたのだ。わが子を孤児院に送るというような苦渋に満ちた選択をしなくて済む社会をつくろうという思いが『エミール』という著作に表れることになる。
わが子を孤児院に送っているルソーは、「子どもを語る資格はない」と批判され、各地で『エミール』も押収・焚書され、ルソー自身にも逮捕状や追放令が出た。しかし、『エミール』はその後、近代学校の創設者ペスタロッチ、幼稚園の創設者フレーベル、保育園の創始者オーウェンなどに影響を与え、近代教育の先人たちを導くことになるのだ。(※ルソー自身は「人間は白紙の状態で生まれ経験によって、人間のありようが決定する」と論じたイギリス経験論哲学の祖ロックに多大な影響を受けている)
もうひとつ、面白かったのは、今日的な男女平等の視点から見ると、『エミール』にはルソーの男女平等についての限界が様々なところに見られる点だ。「女性は…(略)…征服されるように生まれついている」「服従は女性にとって自然の状態」などと書かれている。『人間不平等起源論』を著した人でも男女平等につての考えがそれだけのものだったのか!と正直驚いた。
ほぼ同時代人であるオランプ・ド・グーシュという女性がフランス革命時、人権宣言を批判して『女性の人権宣言』を出していることを考えると、ルソーの考えが至らなかったことを時代のせいにすることも出来ないのではないかと思う。
さらに、手放さなければならない子を5人もテレーズに妊娠させたということも、妊娠による女性の身体の負担を考えると、なんだかなぁ、と現代的な視点からは思ってしまった。
ともあれ、ルソーの言葉で面白いなぁ、と思ったものをメモしておこうと思う。
・万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる。
・人は子どもというものを知らない…(略)…かれらは子どものうちに大人をもとめ、大人になるまえに子どもがどういうものであるかを考えない
・人類は万物のうちにその地位をしめている。…(略)…人間を人間として考え、子どもを子どもとして考えなければならない
・自然は子どもが大人になるまえに子どもであることを望んでいる。この順序をひっくりかえそうとすると、成熟してもいない、味わいもない、そしてすぐに腐ってしまう速成の果実を結ばせることになる
・植物は栽培によってつくられ、人間は教育によってつくられる
・この教育は、自然か人間か事物によってあたえられる。…(略)…だからわたしたちはみな、三種類の先生によって教育される。これらの先生のそれぞれの教えが互いに矛盾しているばあいには、弟子は悪い教育をうける。…(略)…それらの教えが一致して同じ目的にむかっているばあいにだけ、弟子はその目標どおりに教育され、一貫した人生を送ることができる。
・教育は生命とともにはじまるのだから、生まれたとき、子どもはすでに弟子なのだ。教師の弟子ではない。自然の弟子だ。教師はただ、自然という主席の先生のもとで研究し、この先生の仕事がじゃまされないようにするだけだ
・肉体を、器官を、感官を、力を訓練させるがいい。しかし、魂はできるだけ長いあいだなにもさせずにおくがいい
・人間としての生活をするように自然は命じている。生きること、それがわたしの生徒に教えたいと思っている職業だ
・子どもに学問を教えることが問題なのではなく、学問を愛する趣味をあたえ、この趣味がもっと発達したときに学問をまなぶための方法を教えることが問題なのだ。これこそたしかに、あらゆるよい教育の根本原則だ
・人はみな幸福でありたいと思っている。しかし、幸福になれるには、幸福とはどういうことであるかをまず知らなければならない。自然人の幸福はその生活と同様に単純だ。それは苦しまないことにある。それは健康、自由、必要なものから成りたっている
・わたしたちは、いわば、二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。はじめは人間に生まれ、つぎには男性か女性に生まれる