Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

時間と私

朝から自分の時間の感じ方について考えていた。

与えられている時間は、誰にも平等だけれど、その感じ方は、多分に主観的で感情的でもある。

人と比較することは現実的に不可能なことだけれど、私は時間を長く感じる人間だと自覚している。

もちろん、時間に追い立てられて何かをしている時、例えば朝の時間、締め切り直前で終わっていない課題がある時などは、時間を短く感じるけれど、1ヶ月前のこと、1週間前のこと、1日前のことすら遠い昔に感じる。

もちろん、フルタイムで働くシングルマザーとしてやることがないわけではなく、日々、あっという間に夜になって、やりたいことが出来なかった、と感じることは多い。子どもの勉強をきちんと見ることができなかったり、食事に手間をかけられなかったりしている。

でも、時間を連続体として考えてみると、やはり長く感じるのだ。

この先子供が成人するまで、親の責任として、少なくとも10年は生きなければダメと思うと気が重い。介護福祉士の受験資格を得るためにしている今の仕事も、受験資格に該当する実務経験3年にまだ満ちていないのか、長いな、とため息が出そうになる。

時間について少し調べてみた。

時間の感じ方の違いには様々な要因があるようだ。

まず、時間経過に注意が向けられる頻度が高いほど、時間がより長く感じられるようだ。

例えば、苦しい時間はなかなか過ぎない。今か今かと時間を意識しながら苦しい時間が過ぎ去るのを待つ。同じ苦しい時でも、何かに集中しているとやはり時間は早く過ぎ去るようだ。

私は、充実していない楽しくない毎日を送っているのだろうか、と考えたけれど、そんなことはないと思う。例えば昨日も、図書館に行き本を4冊読んだし、イベントに参加したし、商店街で様々な店で買い物をしたりしている。娘の勉強もしっかりみたし、しっかり一緒に遊んだ。充実した時間がゆっくり過ぎた。

1日でこんなにたくさんのことができるのにと、仕事をしている時間をもったいないと思うほどだ。

何かひとつのことに集中することはあまりなく、常にあれこれ気が飛んでいるようには思う。だから長く感じるのだろうか。

記憶に残る刺激的な出来事が多くても、時間を長く感じるようだ。記憶が多く残れば残るほど、同じ1年前もずっと昔のことのように感じられるようだ。

これは、子どもの頃、今以上に時間を長く感じていたことを思い出すと、とても納得できる。

怒った人がいる環境でも、周りが時間を長く感じるようだ。確かに、早く怒りがおさまれば良いのに、いつ怒りがおさまるのだろうか、と張り詰めた気持ちで怒りがおさまるのを待つけれど、その場から離れられるならそれがベターだ。

身体的な代謝が激しくても、時間を長く感じるようだ。そうだな、私は割と代謝は良い方と思う。

時間を長く感じる割に、私は自分の時間というものにこだわっている。テレビをほとんどみないのも、時間を無駄に過ごしたくないという理由がある。自分の時間を価値あるものだと思っている。

それなのに、ロングスリーパーだ。ロングスリーパーであることで、私は他の人より時間を損している、と思っていたけれど、今は仕方ないと思っている。起きている時間の量より質かもしれない。短時間睡眠の時、私は本当に調子が悪くなる。だから、睡眠は私にとって価値あるものだ。色んな刺激を脳が処理するのに必要なのだろうと思っている。

子育てをしていても、障害福祉の仕事の中でも、睡眠不足だとわかりやすく調子を崩し、不機嫌になるな、と感じることが多い。