Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

【介護福祉士の勉強】ジャージーを購入する

少し浮気をして、ひとつ介護じゃない仕事の面接を受けたけれど幸か不幸な不採用だったため、この一年は浮気せずに介護福祉士試験合格に向けて頑張ろうと思う。3年の実務経験を満たさず、志半ばで違う仕事に就くのはよく考えるともったいない。
実務者研修のスクーリングもはじまり、ジャージー上下が必要と言われたので購入した。
ジャージーを、学校の体操服以外で購入したのははじめてだ。こんな機会でもなければ一生縁がなかったかもしれない衣類だ。普通の動きやすいパンツやトレーナーは不可らしい。介護の演習で、着脱をされる役にもなるので必要だとか。
ジャージーはファッションとしても使われるけれど、言ってみれば作業着だからか、中古でなかなかみつからずだった。それでも、上下千円ほどの中古をみつけることが出来た。
今の職場では介護をしているけれど、ジーパンなど普通の服で介護をしている。
自分が介護をされる場合ジャージーが良いのだろうか、と考えた。
例えば、一緒に車椅子で外出などするなら、制服やジャージーではなく、普通の服で介護して欲しい。職場の名札すらつけて欲しくない。娘や息子のようにみえるような介護をしてもらえると幸せに感じるのではないかと個人として思う。
家庭にヘルパーとして来てもらう時も、清潔で介護しやすい服でありさえすれば私服が嬉しい。
病院や施設ならジャージーでも構わない。制服の方が専門的な知識と技術があるようにみえて嬉しい場合もありそうだ。
障害者も高齢者も出来る限り施設ではなく地域での生活を目指していこうという昨今の風潮がある。
地域での生活を支える介護者は専門職でありながら、地域の一員でもあり、病院や大規模施設の職員より、心理的にはより利用者の個別の生活に近い存在だと思う。そこにおける衣服の選択も、ご利用者の希望に合わせることが出来れば良いのではないか、とジャージーを購入しながら考えた。

デビッド・コパーフィールド

孤児ダビド物語 [DVD]

孤児ダビド物語 [DVD]

  • 発売日: 2011/02/15
  • メディア: DVD

新しい映像に慣れていると、古い映像が一見つまらないものに感じられることがある。
新しい映像に慣れているにも関わらず、戦前1935年の作品、ジョージ・キューカー監督『孤児ダビド物語』という白黒で2時間以上にわたる字幕作品を8歳の娘が飽きずに一緒に観てくれたことを嬉しく思っている。
私は、この作品をダニエル・ラドクリフ主演映画で観ているが、初めて作品に触れた当時の興奮を未だに覚えている。その半世紀前の映画である『孤児ダビド物語』にも飽きることはなかった。
チャールズ・ディケンズが、自らの作品の中で1番気に入っている作品なだけある。きっとこの先小説で読んだり、映画化された作品に触れても、何度でも面白いのだろう。
『デビッド・コパーフィールド』は、モームが、世界の十大小説に選んだ作品だ。ということで、十大小説を全て読みたくなった。スタンダールバルザックドストエフスキーの未読作品がある。

ヒトのひとり親

プラネットアース DVD-BOX 1 episode 1‾episode 4

プラネットアース DVD-BOX 1 episode 1‾episode 4

  • 発売日: 2006/08/25
  • メディア: DVD

プラネットアースを観ていて、自分はヒトという動物なのだなぁ、という認識が強くなった。

『オスとメス=性の不思議』は、という経緯で読んでみた本である。

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鳥の仲間の多くは、両親が揃って世話をします。哺乳類は、雌が母乳を出すので哺乳類というくらいですから、必ず母親が世話をします。父親も一緒に世話をする哺乳類はほんの少ししかありません。

魚や両生類では、まったくなんの世話もしないもの、雄親だけが世話をするもの、雌親だけが世話をするものとまちまちです。両親がそろって世話をする種はほとんどありません。爬虫類のほとんどは、親による子の世話がありません。卵を抱いてまもるニシキヘビや、子の世話をするワニは例外です。

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プラネットアースでみたシロクマも、父熊が不在の中、母熊と子熊が食糧探しの過酷な旅をしていた。両親が揃って世話をする種はほとんどないなら、ひとり親は地球規模で考えるとメジャーなのか、と思った。

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繁殖のために個体が費やす時間とエネルギーは、配偶者獲得のための配偶努力と、生まれた子の生存率を上げるために行う子育て努力に分けられます。ダーウィンは、配偶者獲得のための闘いは、雄に固有の性質と考えました。トリヴァースは、そうではなくて、雄同士が闘うことも雌同士が闘うこともあるだろうと考え、その競争の様子を決めるのは、配偶努力と子育て努力の差し引き関係にあるのだと考えました。

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ヒトの雌は、子育て努力が大きいから、配偶努力は概して小さいのかと何だか腑に落ちた。とすると、子育てをしないであろう年齢の雌は、雄同等に配偶努力をする必要があるのだろうか、というより、子育てを意識しないなら、雄にとっても雌にとっても配偶努力は必要ないものなのなのだろうか。

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難産になったことと子育てに非常な労力がかかることの二つは、ヒトの生物学的特徴といえます。ところが、この二つの特徴はともに、ヒトの女性が単独で子育てをしていくことを不可能にしました。子どもを育てている間も、女性は、まず自分自身を支えていかねばなりませんから、女性が単独で自分の生活を支え、なおかつ子どもを育てていくことは、不可能となるでしょう。地理的、歴史的にさまざまな民族を眺めてみても、母親が単独で子育てをするのが普遍的な社会は一つもありません。

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ヒトがひとり親として生きていることはすごいことなのだと思った。

福祉の仕事について

コロナ禍において、飲食関係や首を切られた非正規雇用の失業者が増えている。それでも、福祉業界は人手不足だ。

なぜなら、7K(キツイ、汚い、危険、帰れない、給料が安い、規則が厳しい、休暇がない)だからである。

私は福祉の仕事をしているけれど、まさに7K。嘘偽りはないと思う。だから離職率も高いのだ。

社会的ステータスも、きれいごとを言わないとするなら、ズバリ低く見られている。肉体的にも精神的にもきつい仕事に関わらず待遇も低く、さらに一般の評価が高くない。この仕事を続けている人はすごいなぁ、と思う。

私はといえば、福祉の仕事内容は、喜びもあるから好きなのである。それなのに、上に挙げたような七重苦諸々で、いつも辞めた方が良いかな、と思い、苦しい気持ちと好きな気持ちを行きつ戻りつしているのだ。

慢性的な人手不足により、辞めると言うことすら、私がほかの業界で働いていた時より勇気のいることだ。欠員を埋めるため、ほかの人にかかる皺寄せが大きい。ただでさえ休日出勤や残業が続く同僚に申し訳ない。

というわけでこの本を読んでみたのである。

著者は完全週休2日制にこだわり、有給休暇や休日出勤の代休を取りやすい環境にすることなどの施策が仕事への誇りにつながる、と考える。また、仕事を通じて人格形成や精神的成長をし、プライドを保ちながら福祉・介護の仕事が社会的ステータスを得られるだけの環境を作っていくことが大事と主張する。ネガティブ7Kをポジティブ7K「希望」「期待」「感謝」「感動」「感激」「可能性」「快感」に変えることが出来れば、働く人が幸せを感じる職場になると言う。

確かに私はポジティブ7Kも、実際仕事の中で感じている。

福祉の仕事の持つ専門性が、正当に評価される世の中になると良い、とただ願うだけではなく、実際にアクションを起こさなければならないのだろうな、と思う。

『精神医学とナチズム』を読む

著者のプロフィールをろくに読まずに読み進み、歴史学者の著書かと思っていたら、著者は精神科医だった。人間の尊厳、安楽死問題などを現代において考える際、ナチズム期の医学をおさえておくのは重要なことと思う。

ナチと関係した精神科医の多くが、戦後何ら裁きを受けることなく社会復帰を果たしているということが興味深かった。

日本も同様だった。満州七三一部隊で人体実験を指揮した人たちは戦後京都大学教授、京都府医大学長などに社会復帰している。

そんな状況の中、戦後のドイツで、歴史を見直し、ナチ国家における安楽死問題を80年代に分析してきたのは、研究・教育職の学者たちではなく、各地の病院に勤務する病院精神科医だったという。自らの勤務する病院でナチズム期に何が行われていたのか、患者がどのように殺害され、殺害に加担した医師らはどのような思想の持ち主だったのか、歴史的背景まで分析を行った。

彼らの歴史と真摯に向き合おうとする態度に敬服する。

この本の著者、小俣和一郎氏も、歴史学者ではなく精神科医だ。

日本の大学の医学部で医学史の講座を常設しているところは少ない一方、ドイツでは医学部の必修カリキュラムとして医学史があるようだ。

日本の医師となる人にも医学史を是非知って欲しいと思う。

家探しにあたり気をつけたこと

ローンで家を購入して住み始め約3年経ちました。新しく引っ越してきた人とも交流したりし、すっかり地域に馴染んできた感じがします。

ひとり親として住む場所を決めるに当たって家を決める際に考えたポイントと、3年経ってみて良かった点や悪かった点など振り返り、以下に挙げておきます。

家を探すにあたり気をつけたポイント→3年後の所感

地域:

・治安が悪くないか。→今住んでいる地域は、治安は悪くないものの、道路幅が狭く車道に対して十分な歩道がありません。見通しが悪い曲がり角などあり、夜間も街灯が暗めなのが難ですが、娘に気をつけるポイントを伝えて通学させています。

・子の通園・通学、自分の通勤に不便な場所ではないか。→家と職場の真ん中に娘の通う学童と小学校があり、大変良かったと思っています。

・食料を購入できるスーパーは近くにあるか。→家から徒歩10分ほどのところにスーパーがありますが、高いのでほとんど利用しておらず、週末少し遠くのスーパーでまとめ買いをしています。スーパーの価格帯も考慮にいれたらなお良かったと思っています。

・小学校で利用できる学童の位置と職場の位置関係。→仕事終わりに学童利用時間内で迎えに行けるかは大きなポイントでした。18時に勤務終了し、直接自転車で18時半の学童利用時間ギリギリに娘を迎えに行っています。そこから徒歩で自転車をひいて娘と家に帰ります。娘の学童は学校内にありますが、遠くの小学校何箇所かから子どもが集まっています。家から小学校が近くても学童が遠い場合、小学生の体力も考慮に入れる必要があります。車迎えではなく一緒に徒歩で帰る場合、子供が疲れていると、自分も家に到着できる時間がおそくなります。

公共の交通機関→車を所有していないので、駅から徒歩15分くらいの場所にしました。転職してもギリギリ通勤が苦にならない駅までの距離かな、と思います。

金銭面:

月々支払わなければならない金額はどのくらいか。→ローン期間は長いですが負担のない額にして良かったです。(ローン期間が短くて負担のある額にも出来ます)

家の間取り:

今後再婚する可能性はあるのか、ないのか。

両親と同居する可能性はあるのか、ないのか。老後一人暮らしになったとしてもやっていけるのか。→荷物の少ないミニマムな生活をしており、あと1人くらい一緒に暮らせそうです。

環境:

日当たり、風通しは良いか。→日中不在の時間が長くて締め切った生活だと、日当たりは重要です。風通しの問題も、エアコン使用と関係が深いので風の通り道を気にしておいて良かったです。

気になる騒音はないか。→静かな環境でストレスフリーです。

収納スペースが十分にあるか。→見逃してしまいがちですが、間取りと同じくらい重要です。うちは、布団生活なので、布団を折り畳んで入れられるかどうか気にしました。収納には困っていません。

その他:

たまたま運が良かっただけのことですが、家の近くの職場にしたら、職場の人も数人家の近くに住んでおり、仲良くなったので、娘にとってちょっとなら預けられる親戚のおばさんのような存在が出来ました。

総合所感:

3年前、忙しい中でも今後悔しないような物件を選べて良かったです。地域が一番重要かもしれません。引っ越し予定がまだ先でも、ゆっくり考えておいて損はないと思います。

ひとり親と非正規格差について

私のまわりのひとり親には非正規で働くことをあえて選ぶ人も多い。正規職員の方が経済面で安定するし、将来的に解雇されるリスクも低く安心なのに、なぜか。

仕事で何かあった時に、子どもを放って仕事を優先させることができないからだと思う。家庭に、子どもを代わりみてくれる人がいない場合、仕事を誰かに代わってもらい、子どもを優先させたいからだと思う。

昨年から気になっていたのは、非正規がコロナ禍でどんどん切られている状況と非正規格差訴訟のニュースだ。私は同一労働同一賃金は当たり前だと思っている。

https://www.jiji.com/sp/article?k=2020101000367&g=soc

非正規職員の責任についてネットで様々な人の意見をみて考えていた。なぜなら、私は今の職場で非正規なのに、正規職員と同一労働であり、自由に休みを取ることができない(正確には自分の穴埋めを出来る人と交渉してその人を確保しなければ休めない)身で、非正規なのに休日出勤も当たり前と思われているからだ。

同じ職員なのだから、正規とか非正規関係なく仕事を第一にしなければならない、という意見が多数派のような印象を実生活で受けているし、ネットをみてもそのような意見の人が多い。非正規だから休みをとりやすいという考えはおかしいという意見もあった。

それならば、自らあえて非正規になる意味はなくなるだろう。正規職員になりたい前提の非正規という感覚の人が多いのはなぜなのだろう。あえて非正規を選んでいる人がいることを知っているから、私自身が正規職員の時は非正規職員に気を遣ったし、同じ非正規であってもアルバイトという立場の人にはより気を遣って、本人が望む場合以外は多くの仕事や責任を押し付けないようにしてきた。

仕事に対する姿勢は、責任感を持ってするべきということには共感できるし、いくら非正規であっても自分しか出来ないようなことをしていたら自ずと責任をもってするだろう。仕事をもっと覚えたかったり、仕事を多くすることで認められたかったり、仕事が好きすぎていつまでもしていたいのなら、正規職員と待遇に差があっても超過勤務や休日出勤がそれほど気にはならないかもしれない。

正規職員より待遇の低い不安定な非正規職員をあえて選ぶ理由は、私の場合プライベート(子どもとの時間や自分の時間)も大事にしたいからである。子どもの行事には休みたいし、残業を常態化させず、せめて子どもと夕食を一緒に食べたいからだ。正規を選んで責任を放棄するより、プライベートを優先させなければならない事情があるから非正規を選ぶというのは、むしろ会社に対して誠実な姿勢であるとさえ思っている。

正規職員も、短期間で辞めたりするし、非正規職員でも長年続ける人もいる。非正規は会社の都合で切ることができる存在である。だとしたら、非正規の方をより好遇にしてこそバランスがとれるという考え方もできるくらいだと思う。

私のように非正規を転々としている人は転職時、長年勤めている人より評価されないことが多い。実際の仕事内容がどうであったかより、履歴書から受ける印象が、長続きしない、責任感のない、というような印象だからなのかな、と思う。

けれど、公務員経験から思う。公務員は様々な異なる部署を異動で経験することによってスキルアップにつなげる考えがあるようだ。ビジネスマナーなど基本的なこと以外は、異動になるといちから覚えなけれならないことが多い。

非正規を転々する中でスペシャリストとしてのスキルは磨かれないかもしれないが、ジェネラリストとしての能力が磨かれるかもしれない。

同じ分野で転々とするなら、多角的な視点を身につけられるのだから、そういう人材も必要だと思う。

コロナ禍のいま、これまで正規職員、非正規職員の別なしに労働を課してきたのなら、皆が苦しい今こそ、正規職員も非正規職員と痛みわけをするのが、道理なのではないかと思う。