Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

アポロとディオニュソス

悲劇の誕生 (岩波文庫)

悲劇の誕生 (岩波文庫)

  • 作者:ニーチェ
  • 発売日: 1966/06/16
  • メディア: 文庫

昨年の1月25日の写真を見返してみる。マスクはしておらず、まだ中国からの観光客も沢山いるエリアに、ちょっと武漢のことを心配しつつ愉快なイベントに娘と参加したことを思い出す。
その翌月、昨年2月22日の写真では、コロナのことを気にしてマスクをしながらも、大きなイベントに参加している。大人数で、踊ったりした。
それを最後に、約1年間、大勢の大きなイベントそのものが開催されることも無くなり、祝祭的なことに参加することなく過ごしてきた。
私は祝祭、イベントごとが、子どもの頃から好きだった。今も四季折々の祭に溢れる地域に愛着を持って住んでいる。その地域の祭も、この1年は自粛となった。
写真をみながら、アポロとディオニュソスのことを思った。
内に向かうもの、明晰でクリアなもの、抑制、秩序、アポロ的なもの。
外に向かうもの、狂騒的なもの、感情、ディオニュソス的なもの。
ニーチェは、『悲劇の誕生』において、造形芸術の原理としてアポロ的なものがあり、音楽芸術の原理としてディオニュソス的なものがあるとした。そして、この二つの対立、協働から成り立っているものが、ギリシア悲劇や芸術であると考えた。
芸術に限らず、私自身も生きていく中で、この2つの要素は必要なものだと思っている。私にとって、コロナ禍自体が、非日常の経験だった。決して好ましいものではないが、ディオニュソス的経験と言えると思う。この1年は、内に向かう態度、アポロ的なものを求めてきたし、社会的にも求められてきたかと思う。
コロナ禍は1年続き、もはやディオニュソス的ではなくなってきた。
緊急事態宣言の中で、ディオニュソス的なものを求めたい衝動をどう処理しようか考えていた。
ニーチェディオニュソス的とした、音楽をたくさん聴こうかと思う。
ギリシア悲劇もしっかり読んでみたいと思う。
ローマ神話で、ディオニュソスバッカス(酒の神)と名を変える。
まぁ、お酒は免疫を落とすかもしれないので、ほどほどに楽しめたら良いかな、と思う。