Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

運動会と学習発表会の体育表現

運動会や学習発表会について考えている。

私が子どもの頃は、学芸会(学習発表会)に体育表現というものはなかったように記憶しているけれど、現在は、学習発表会に体育表現というものも含まれるようだ。

体育表現をする学年はステージで跳び箱やマット運動、縄跳びなどを披露している。

運動会が別にあるに関わらず、体育表現を披露する学年にあたると、2回も身体能力を人前で発表することになり、運動の苦手な子はさぞかしイヤだろうな、と思う。

私は運動会があまり好きではない。スポーツ観戦も別に好きではないのだけれど、それなりにスポーツを好きな人がやっているであろうスポーツの試合に較べ、誰もが強制参加となる運動会を観る方がより苦手だ。

私自身は、子どもの頃、身体が大きかったので、苦手な競技は特になかったけれど、誰の目にもわかりやすい方法でリアルに順位がつくという運動会の持つ性質が苦手なのだと思う。

全員出場するリレーなどで、遅い子がどんどん抜かれてグループ全体の順位を落とす姿等、身体能力の低い子が必死で頑張る姿をみるのが辛い。そんな子が皆に応援されてやっとゴールする姿をみても別に感動はしない。

この子たちは、これから社会人になってもこんな風に競争させられ、順位をつけられていくのだろう、と憂鬱な気持ちになる。

運動会というイベントがある国はそうそう無いらしく、日本の運動会は、海軍士官の養成所で行われた競闘遊戯会が起源であるらしい。

身体を動かすことに、それなりの健康効果があることは認めるし、子どもたちが保護者に学んだことを発表する場を持つことにも、意義はあると思う。

私のように過敏になっていたら、社会で生き抜くのに苦労するのも事実だと思う。

それでも。一部の子どもたちが、意に反する苦役を強いられているようにみえて、私にとっては観るのすら苦痛なものなのだ。

でも、今のところ、娘は運動会や学習発表会を愉しんでいる。こんな気持ちで私が運動会や学習発表会を観ていることは伝えないでおかなくては、と思う。