私が運転しない理由 1
私が運転しない理由というか言い訳を、自己分析も兼ねてメモしていこうと思う。
ただの、言い訳、合理化、正当化ではあるけれど、あまりにも運転できないことが地方の生活で窮屈に感じているし、現在のところ私の最大のコンプレックスだからだ。
たくさん理由があるので、一つずつ書いていきたい。
「自動車自体が好きではない」
小さい頃から長時間のドライブは具合が悪くなるから嫌いだった。長距離移動しなければならないなら、経済的なことを考えるとバスを利用したりするが、断然電車が良い。時間を効率良く使わなくて良いなら、新幹線より普通電車が良い。
車という狭い空間が窮屈だ。仮に広かったとしても、中でパーティーができるようなリムジンに一生に一度も乗れないまま死んだとしても構わない。キャンピングカーには一度は乗ってみたかったけれど、一度乗ってみたから十分だ。
車に乗らないと行けないところもたくさんあると思うけれど、一生のうち、車に乗らなくても行ける行きたいところをまわりきることも不可能だと思うし、車に乗らないといけないところにどうしても行きたい場合は、お金や人脈に頼る予定だ。車を運転しないまま40歳を過ぎたけれど、だからといってタクシーを利用した回数も限られている。行きたいところには、運転できなくても何とか行けてきた。
モータースポーツは一度くらい経験的に見てみたい気もするけれど、ちょっと怖い気もする。
信号のない道路を横断する時は怖いし、車の多い駐車場を歩く時、車道を自転車で走らなければならない時も怖い。
交通事故のニュースをみると、いつも加害者も被害者も自分だったかもしれないと思う。
前提として、車があまり好きではないという、私と車との相性の問題がある。
最近読んだ本、桜井章一と香山リカの対談『どうしたら桜井さんのように「素」で生きられますか?』で、桜井さんも、「自動車」という存在自体があまり好きではない、と言っており、少し嬉しかった。読書メモとして引用しておく。
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「車がなければ現代社会はここまで発展できなかった」と言う人もいるでしょう。しかし、豊かになること、発展すること、広がることなど、この世で「善し」とされる考え方には疑問を抱いているので、自動車などなかったほうがよほど今よりいい社会だったのではないかと思ったりもします。
クラクションを鳴らしながら我が物顔で道路を走っている車を見ると「何を威張ってやがるんだ」と怒りがわいてくるんですよ。人が優先なのに何で歩行者が車に気をつけなければならないのか。そんな場面に出くわすと、俺はもっと車の少なかった時代、つまりまだ幼かった頃の時代に自分を戻すようにしています。
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