藪の中
ドキュメント 発達障害と少年犯罪 (イースト新書) (イースト新書 29)
- 作者:草薙厚子
- 発売日: 2014/04/10
- メディア: 新書
謝るなら、いつでもおいで: 佐世保小六女児同級生殺害事件 (新潮文庫)
- 作者:壮志, 川名
- 発売日: 2018/05/27
- メディア: 文庫
学校では教えてくれない障害と犯罪の話
刑務所しか居場所がない人たち : 学校では教えてくれない、障害と犯罪の話
- 作者:山本 譲司
- 発売日: 2018/05/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
医療ソーシャルワーカー(MSW)について
病院なんか嫌いだ ―「良医」にめぐりあうための10箇条 (集英社新書)
- 作者:實, 鎌田
- 発売日: 2003/10/17
- メディア: 新書
おそらく、どんな職場でも理想を持っていると、仕事をする中で現実とのギャップに苦しむことになる。特に福祉や医療は、効率を求め、システマティックに、やっているだけでは良い仕事と言えない。
「枠の中でジレンマを抱えたら、課題分析し、制度を変えていく」ということは文字通り理想的だけれど、様々な人の利害や思惑が絡んだりして、なかなか難しい。色々な意見の人がいるし、多数決が良いとも限らない。
『病院なんか嫌いだ』を読んだ。
ここ最近、福祉職の大変さを考えることが多かったが、医療の仕事も大変だ。
医療者はコロナ禍前から余裕なく悪条件の中で働いていた。そこにコロナが到来し、命を落としたり燃えつきる医療者も多い。
医師、看護師ではないが、私の持つ社会福祉士の資格でも、医療現場で働くことは可能だ。医療ソーシャルワーカーというポストがある。
社会福祉士の資格をとった時、数ある仕事の選択肢の中で医療ソーシャルワーカーを選ばなかったのは、ベッドコントロールに追われ、精神的にきついという話を聞いたからだ。辞める人が多いのか、経験を問わず、資格だけで応募できる医療ソーシャルワーカーの求人も割と多かった。
『病院なんか嫌いだ』を読んで、やはり医療ソーシャルワーカーは、聞いていた通り大変そうだと思った。医療現場自体が大変なのだ。
そんな中で理想を保ち続け、きちんとより良い医療を実践している鎌田實先生の姿には頭が下がる。
冷たい医療ではなく、心ある医療を提供したいと、苦しみながらも奮闘している医療ソーシャルワーカーもきっと多くいるのだろう。
引き続き鎌田先生の著作を読んで医療についても考えていきたい。
【介護福祉士の勉強】リア王の末裔
- 作者:和田 秀樹
- 発売日: 2009/06/05
- メディア: 文庫
和田秀樹著『困った老人と上手につきあう方法』を読む。リア王は、困った老人の象徴という話が面白かった。
私は40代前半だ。介護福祉士の資格をとるために勉強をしている。障害福祉の仕事を現在している。祖父母が亡くなって以来、高齢者福祉にはさほど興味なく過ごしてきた。未来の可能性に満ちた児童、多種多様で個性的な障害者と接することに、より興味を持ってきた。
今している介護福祉士の勉強には障害福祉のことも含まれるが、高齢者介護を想定した内容が多い。勉強した分だけ興味が出てくるので、最近は高齢者のこともよく考える。
ヘルパーの勉強をはじめてしたのは、祖母の物忘れがはじまった20年ほど前。祖父母が高齢者になったというきっかけがあった。
今は、自分の両親が高齢者になっており、自分自身が40代になり、老いや老後のことを意識するようになったという時期的なものもあると思う。
「困った老人」となるのは、前頭葉の老化が原因だ。そして、その前頭葉の老化は早ければ40代からはじまるというので、私も他人事のように言っていられない。
肉類を積極的に食べてセロトニンを増やすという方法も神経伝達物質を増やすのに有効なようなので、肉を控えるのはやめようと思う。両親にも肉の摂取を控えなくても良さそうだ、と話してみよう。
さて、認知症による症状は、とくに初期から中期の場合、その言動に元々のパーソナリティや知能が色濃く反映されるものらしい。自分が認知症になった場合どんな言動をとるか想像してみた。
物事の捉え方がネガティブであるよりポジティブな方が、認知症になった後もその瞬間瞬間を楽しく生きることができそうだ。ただ、本人がいくらポジティブ思考であったとしても、介護者の対応と環境如何で、その人の瞬間瞬間が辛く耐え難いものにもなる。介護者の専門的知識と経験に基づいた対応、態度は本当に重要だ。
【介護福祉士の勉強】ディオゲネスの末裔
- 作者:都築響一
- 発売日: 2008/11/15
- メディア: ペーパーバック
コロナで、人と繋がりを持つ機会も希薄になり、セルフネグレクト状態に陥っている人が多くなっていることと思う。
昨日も、仕事先からの帰り、大量のゴミ袋をトラックに詰め込んでいる光景をみた。ただ、亡くなった人の家を整理していただけかもしれないけれど、ゴミ屋敷だったのかな、と何となく思った。
『ルポ ゴミ屋敷に棲む人々-孤立死「呼ぶ「セルフ・ネグレクト」の実態』を読んだ。
セルフネグレクトへの介入時、拒否があると支援がとても難しい。
愚行権というものがある。趣味にお金を注ぎ込んで、趣味の物で部屋が溢れ、他人からみたらゴミ屋敷にみえたとしても、お酒が好きで、お菓子が好きで健康を害していたとしても、それをあえて行う自由がある。
誰かの目からみて正しいからと言って、それを人に強制することはできない。
私はお酒が好きだし、お菓子も好きだ。お酒やお菓子、さらに本を購入することや喫茶店で過ごすことにこれまでの人生でどれほどのお金を費やしたかわからない。他人から見たら愚かな行動かもしれない。
服が大好きで、服に埋もれて過ごす人の写真集、都築響一の「着倒れ方丈記」は、私にとって実に魅力的な写真集だった。
例えば、私が今「あなたの生活は改善すべきだ」と約束もしていない見知らぬ人間に言われたとしたら、自分の生活を否定されたことに腹を立て、そんな筋合いはないと拒否するかもしれない。少なくとも自尊心が傷つく。
ライブイベント型のセルフ・ネグレクトというものもある。人間にとって最もストレスフルなライブイベントは配偶者の死という研究もあるらしい。離婚も配偶者との別れという意味ではストレスフルなので、私のようなひとり親もセルフ・ネグレクトにも陥りやすいと思う。
ひとり親が自身をネグレクトするということは、その子どもをネグレクトすることにも繋がる。高齢者同様、離婚経験者もリスクが高いのだろうと思う。
ひとり親が子どもを巻き込んでセルフネグレクトしていたら、児童虐待の観点から、愚行権などと言ってはいられない。介入すべきと思う。
認知、判断力が衰えた人が、生命の危機に陥っているのに拒否を続けている場合はどうするのか。認知、判断力が衰えていると、何を基準に判断すべきなのか。
古代ギリシャの犬儒学派の哲学者であるディオゲネスは、あらゆる慣習的行為や社会通念を軽蔑し、極貧の路上生活者のような生活を送ったという。これが、セルフ・ネグレクトの原型と言えるかもしれないらしい。
認知や判断力が低下していない成人の場合、正しい情報と知識を提供したうえで、本人の意思を尊重するのは当然のことである。
どうしても支援したい場合、「◯◯させて欲しい」とこちらがお願いするかたちをとったり、ご本人が直接的に困っていることを解決することからスモールステップで支援していくとうまくいきやすいようだ。
【介護福祉士の勉強】介護士は召使いなのか
忘れがちになってしまうが、福祉職はサービス業でもある。福祉サービスという名称がある。接客業と言えるかもしれない。
通常、接客業は営利を目的とする。だからこそ我慢できる部分があるのかもしれない。
福祉は、多くが営利を目的としないうえ、給与も低い。だからキツイのかもしれない。
私の場合、ごくたまにではあるが、ご利用者やご利用者の家族から理不尽なことを言われたり、横柄な態度をとられることがある。
そんな時、カチンとくる。
それから、それは加齢や障害の影響かもしれないと考えたり、経験や想像力不足、心に余裕がないからなのだと思うようにはしている。理不尽な要求については職場に報告・連絡・相談する。
介護士にはアンガーマネジメント能力が必要だ。
介護士を見下して扱う人は一定割合いるのだろう。それは、国が福祉に予算を割かない結果としての介護職員の社会的地位の低さによるイメージも大きな原因だと思う。
介護福祉士のスクーリングでは、現役介護士で、高齢者と関わっている人の話をきく機会が多い。
有料老人ホームで働いているという方の話は、ご利用者に召使いのように扱われて大変だというものだった。やっている仕事内容は、たしかに旧時代の召使いと変わらないかもしれない。人が進んでやりたくないようなキツくて汚い仕事が含まれる。有料老人ホームの場合、お金のある人しか利用できない。お金を沢山払っているのだから、それに見合ったサービスを受けて当然という気持ちもあるのだろう。要求水準はたしかに高そうだ。
そのご利用者はお金で人を動かす感覚や、お金を持っていることにより自分は優れた人間だと思うことに慣れているかもしれない。
貧困層であれば、例えば人生の悲しみを知っている。ゆえに人に優しいかもしれない。
一方で、貧しさのために心に余裕がなくなっているかもしれず、やはり介護士にキツくあたる可能性はある。
お金のある人であっても貧困層であっても、経済状況に関わらず、相手を尊重することを知っている人はいる。相手を尊重できる人が多いと信じたい。
そして、お客だからと何でも理不尽な要求まで飲む必要はないけれど、相手の背景をしっかり理解したうえで、気持ちに余裕を持ち支援をしたいと思う。
【介護福祉士の勉強】生活支援技術 Ⅰ (家事援助)
福祉職場で、同僚の職員をみていて思うのは、家事能力が高いということだ。若い男性であっても料理、掃除を器用にこなし、季節に合わせた服装の配慮をしっかりできる。
ご利用者の健康状態、趣味嗜好、生活習慣、使用できる材料と道具(経済状況も関係する)を利用し、その場で何をするか考え、ご利用者と相談し、料理や掃除をする。これって割と難易度が高いことだと思う。
生活習慣は、きわめて個人的なものだ。長年付き合ってきたカップルでさえも、結婚して一緒に暮らしてみることで生活習慣の違いにストレスを溜めることがある。
居宅サービスの家事支援は、自分と異なる階層で生まれ育った、年齢も職業も教育歴も様々な人の個人的な生活習慣を尊重してする。
支援者が自分の個人的なやり方に慣れていても、相手のやり方に合わせるのだ。
居宅支援をすると、様々な生活形態をみることになる。もし訪問の仕事をしなければ、自分と同じような階層の友人宅しか訪れることがなかったかもしれないのに、本当に様々な暮らしを見ることになるのだ。
テレビや写真だけでみるのではなく、実際の匂いなど空気も感じる、近隣の環境も知る。
福祉職男性は、給与が低いため、なかなか結婚できないようだが、家事も出来て、相手のことを尊重する態度が身に付いているのなら、パートナー候補として、とても素敵なのではないか。
さて、介護職女性は、婚活市場で特に人気があるわけではない。勝手に理由を想像すると、看護職女性と保育士女性のほうがスペックが高く見えるからだと思う。看護職は医療の知識も高く給与も高い。キビキビ動けるスマートな印象がある。保育士は、家族を形成した場合の子育て能力の高さが保障されそうだからだ。
介護職は、イメージとしての華やかさに欠けるのではないかと思う。