記憶
記憶について考えることが多い。
昨日、10年ぶりくらいで墓参りに行った。
墓参り後は、母の実家に行く。母の実家には、故人を知る人々が訪れ、仏壇に線香をあげ、故人の話などをして帰った。親戚もお世話になった故人の家に線香をあげにまわった。
私の世代で、そのようなことをしている人はどのくらいいるのだろう。お盆のこのような習慣は、今後、なくなっていくのかもしれないと思う。
線香をあげにきた人が故人とどのような繋がりを持つのか親戚に尋ね、祖父母や曾祖父母のエピソードを新たに知る。それらのエピソードは、知る人が語らなくなったら、そこで永遠になくなる。私が小さい頃から聞いてきたご先祖様のエピソードも、記録が残っていないとするなら、私が語り継がないといずれ永遠に葬り去られるのだろう。私個人のエピソードも。
私個人のエピソードは、きっかけがあれば娘に語っている。取るに足らないエピソードだ。このブログ自体も。
それでも、私は何か記憶しておきたいと思って書いたり、語ったりする。人間関係も、その人との記憶の蓄積だ。個人の趣味や嗜好も、その人の経験の蓄積だ。思想も、読書体験なり、それを形成するエピソードがあって変化していく。
人は、記憶で出来ている気がする。