キョリと災害のお見舞いメール
20年以上住み続けた街を離れて、一時的に実家に戻り1年経った。
疎遠だった親戚とは、また関係を取り戻した。10年以上連絡をとっていなかった幼馴染とも、頻繁に会うようになった。
新しい職場で新しい関係を築き、ドライブに連れて行ってくれるくらいの友達もできた。一方、1年前に親しかった友人と連絡を取る回数は、移動直後から比べだいぶ少なくなった。
キョリとはそんなものだ。
電話、メール、いつでもオンラインで繋がることができるけれど、いつでも、と思うと逆にきっかけでもないと連絡しにくくなる。
最近は、災害のお見舞いメールがとても嬉しい。ニュースを見て私のことを思い出し、思ってくれていることがありがたい。
例えば自分が病気になっても心配させるようなことは自分からは伝えにくい。喜ばしいことがあったとしても、やはり自分からは伝えにくい。小さなニュースは全国には流通しないけれど、災害のニュースは全国に流れる。災害には遭いたくないけれど、キョリの離れた友人から災害をきっかけに連絡が来るのは嬉しい。
小さなニュースは、大人となった今、相手の忙しい生活のことを考えると送るまでもない気がして、一度伝えようと思いたって書いたことを消去したりしている。相手の家族や仕事のことを考えて連絡をとるのを遠慮したりする。
私の方からも、キョリの離れた友人に連絡を取ろうと一歩踏み出すきっかけは、誕生日か相手の住んでいる地域の災害ニュースが流れた時となってしまっている今日この頃だ。