Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

記憶を失くすということ

先日、娘から「(ママが)私のことを忘れるのが怖い」と言われた。これまでは、「(ママが)死ぬのが怖いから、死なないで」と言われてきた。「死なないで欲しい」ということに、「忘れないで欲しい」が加わったことについて考えている。

人は亡くなっても生きている人の記憶の中で生き続ける。亡くなった人の記憶が生きている人から失われた時が「第二の死」とは、よく言われることだ。ディズニー映画『リメンバー・ミー』もそのことをテーマにしている。

時間の経過と共に自然に記憶は失われていく。覚えておきたい記憶も、忘れたい記憶も。

私の中で、記憶は日常の中で、五感に入ってきたものから蘇ることが多い。

忘れたくない記憶は、写真をみるなどして思い出そう、覚えておこうとすることもある。忘れたい記憶は、思い出そうとはしないし、封じ込めたいと願っているので蘇っても無理に消そうとしている。その行為はなかなか苦しい。

私を目の中に入れても痛くないくらいと言って可愛がってくれた祖母は、認知症になり、ついには私のことをわからなくなった。それは病気なので、私は忘れられたとは思っていない。祖母が忘れようとしたわけではないのだと知っているから。

そのように考えると、病気や老化で認識できなくなるのではなく、意図的に記憶を失くそうとすることは、その相手が忘れて欲しくないと願っている場合、相手に殺人的なダメージを与える行為なのではないかと思う。何かを忘れたくないと願っている人に、忘れさせようとする行為も同じく殺人的なことかもしれない。

娘は父親の記憶を持たないけれど、覚えておきたいと願っていることはよくわかる。最近は、父親のことを色々伝えている。どんなところが娘と似ているか。何が好きだったのか。どんな人だったのか。記憶を創って、忘れないようにする。私にとって、思い出したくなかった彼(娘の父親)も、時と共に幸せだった時の記憶の方を蘇らせることができるようになってきた。きっと時間の経過により忘れ始めてきたのだろう。神様が忘却という能力も人間に授けてくれたことを感謝している。

例えば、私が再婚したとして、相手に子どもがいたとしたら、実親のことを覚えていられるようにしてあげたい。その子にとって大切な存在を私も大切にしたい。実親の話題を口に出来ないような雰囲気にすることは、虐待なのだと思う。