Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

落ちこぼれて学んだこと

シングルマザーですが、昨年は福祉の資格取得のために働きながら勉強していました。学校への入学を決める前は、働きながら夜間学校に通い、子育ても両立させるなんてきっと無理だと思いました。でも、私の中に、「ひとり親だからで出来ないことがあるなんておかしい」という反骨精神がありました。「ひとり親だから」「お金がないから」「年をとっているから」こんな理由であきらめたくない、「やってやろうじゃん」と勢いで始めたのですが、本当に大変な毎日でした。でも後悔はしていません。無事国家資格を取得もできました。

子供が小さいながら協力してくれてたことは大きかったと思います。平日接することができない分、せめて休みの日は子供との時間を大切にしたので、休みの日は勉強出来ませんでした。

次の日の仕事のことを考えると遅くまで勉強できない、睡眠時間を削ると体調を崩すので平日も授業時間以外は勉強できませんでした。たまに、有休をとって勉強をしました。

勉強自体は、興味があることなので好きだったのですが、勉強時間が圧倒的に足りず落ちこぼれました。予習も復習もできなくて、先生の質問に答えられなかったり、課題をきちんとこなせなかったり。

私が大学を卒業するまで味わったことのない気持ちを味わいました。「環境さえあればできたのに」。

そして貧困家庭の子供の気持ちが少しだけわかったような気がしました。

何の疑いもなく、自分がそこそこ勉強ができたことを才能と努力の結果だと思っていた頃は、勉強のできないクラスメイトのことを単なる怠け者だと思っていました。

私がこんな気持ちを味わったことは社会福祉士を目指す上での、必然だったのだと思います。

落ちこぼれたことを喜ばしいことと今では思えます。

湯浅さんの著書『ヒーローを待っていても世界は変わらない』をより引用します。


たしかに、私なりの努力はしました。しかし世の中には、私と同じ努力をしても同じ結果に到達できない人はいます。

自分の部屋が与えられず、小さい兄弟が騒がしくする中、また父親がテレビをつけている同じ空間で勉強せざるを得ない人は、私よりも高度な集中力を要求されたでしょう。

自分が望んでも塾に通うことがかなわない人もいます。十分な学力があっても、授業料の高い私立高校には行けないという人もいるでしょう。一年浪人する余裕がない家庭もあると思います。

それでも、自分の努力を積み重ねて東大に入学した人はいると思います。そんな人はいないと言うつもりはありません。しかし、子どもを東大に入学させる家庭の平均年収は一千万円を超えているとう調査結果もあるように、経済力のある家庭の子は有利に、経済力のない家庭の子は不利になります。

しかし大学入学時の私は、そんなことには思い至りませんでした。自分の努力の結果だと思っていた私は、聞かれればこんなふうに答えていたのではないかと思います。

いやあ、私は別特別な人間ではありませんよ。私なりの努力をしただけです。私だって入れたんだからほかの人だってできますよ。あとは、やるかやらないかの問題でしょうねーと。

条件(家庭環境)の異なる人がいることを知りつつ、その違いを消し去るために、あえてそう思っていたわけではない。悪気があるわけではない。単に「見えていない」「知らない」だけです。たいていの子どもは、自分の置かれた家庭環境が、そこに特別なところがあったとしても、「ふつう」だと「こんなもん」だと思うでしょう。他の家庭を詳しく知らないからです。

 ヒーローを待っていても世界は変わらない (朝日文庫)