Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

娘との企画会議

キャラ弁ってそんなに好きではないなあ、と思いながら、これまで子どもの弁当には、ソーセージの飾り切りや型抜きで抜いた野菜くらいで華を持たせていました。でも、どうも娘の通う保育園ではみんなキャラ弁を持ってきているみたいなので、ついにキャラ弁を作ることになりました。

仕事帰りに電車の中である程度案を考えました。弁当の形や手に入る食材も考慮しながらデザインを考えるのは一仕事。家に帰ったらまだ娘が起きていたので、紙に色マジックで、こんな弁当にするよ、と描いて伝えました。すると、娘も紙を持ち出し、一緒に私のデザインを参考にしながら絵を描き、使いたい素材や構図について自分のアイディアをどんどん出すのです。なんだか娘と一緒に企画会議をしているみたいで楽しかったです。

自分の目的(キャラ弁を保育園にもっていく)のために真剣な娘の姿が面白く、面倒だと思っていたキャラ弁作りですが、娘と一緒の企画会議を設けることで楽しくなりそうです。

フォトムービー

最近、携帯の無料アプリでフォトムービーを作成するのにはまってます。

膨大な画像データをランダムに残すより、テーマごとにフォトムービーを作っておいたほうが、子どもに自分が愛されて育ったのだということをわかりやすく伝えられるかな、とも思っています。

2歳や3歳の時の画像も盛り込み作成したフォトムービーをみせると、娘が「この頃は楽しかったな」なんて、4歳にして言うのです。

今も十分楽しそうにしているのに!なぜ?と少しショックを受け、色々聞いてみましたが、曖昧な答え。

子どもも大きくなるにつれて少しずつ苦労が増えたと感じているのかな。

でも、離婚裁判の最中で、そして私が仕事を3つ掛け持ちして忙しくしている中で、本当に朗らかに笑ってくれている当時の娘の画像をみると、私自身、救われます。

上記のような発言はあったけれど、今現在もこっちまで楽しくなるような笑顔を見せてくれる娘です。この笑顔が絶えないように私も頑張りたいです。

心の無保険

今朝方、子どもが「こわい夢見てた」と一緒の布団の隣で呟いた。とても不安な顔だった。

「どんな夢だった?」と聞くと、「私が転んで、ママが気付かずエレベーターに乗って行ってしまう夢」とのこと。

「そんな時は大きな声で呼んで」と言うと、「泣いてて声が出なかった」とのこと。

私は「1人で行ったりしないよ」と伝えた。子どもってこんなに1人になるのが怖いんだな、と思った。

そして、私の1番の不安も、自分が事故か病気で死んでしまうこと。置いて行きたくないのに置いて行くことになってしまうこと。

伴侶がいないひとり親は精神的に無保険状態。お金の保険には入れても、心の保険には入れない。



お金の心配を子どもにさせてしまったこと

仕事を残して帰っているのに関わらず、帰宅時間が深夜に及ぶことが多く(今は帰りの電車の中です)、子どもの将来や2人での生活のために働いているのに、子どもとの時間がほとんどとれないジレンマに悩む日々です。

 

今朝、子どもに聞いてしまいました。

「ママがお仕事いっぱいして夜遅くなってもお金があるのと、ママが一緒にいられる時間長いけどお金があまりないのとどっちがいい?」

4歳の子どもにお金の話や大人の事情を話してしまうのは、愚問だし、そんな心配させるべきではないとわかっていつつも、理想と裏腹に口から出てしまうことが多いお金の話や大人の事情。

 

ちょっと考えてから娘の口から出た言葉は

「お金ないと困るからママ働いてお金あった方がいい」

 

私がちょこちょこお金無くなる恐怖を植え付けてしまっていたんだろうな、と反省すると同時に、そういう理由で自分を納得させて頑張ってくれていたんだな、とジーンとしました。

 

子どもの貧困、6人に1人、昨年この1人に入っていた私は、現在収入的にはここから抜けています。

しかし、時間短縮のためにタクシーを使ったり、安くて良いものをじっくり探すのではなく、手に入りやすいものを割高でも買うようになったり、出て行く経費も増えました。

貯金ができるかと言えば、弁護士費用や学費の借金返済にあてており、全くできていません。

 

そして、上に書いたように年端もいかない幼児にお金の心配をさせざるをえない現状があります。

 

収入だけでは計れない潜在的な子どもの貧困のデータには現在の私たち母子も含まれてしかるべきです。

 

と思うと、何人に1人になってくるのだろうか、と考えます。

 

落ちこぼれて学んだこと

シングルマザーですが、昨年は福祉の資格取得のために働きながら勉強していました。学校への入学を決める前は、働きながら夜間学校に通い、子育ても両立させるなんてきっと無理だと思いました。でも、私の中に、「ひとり親だからで出来ないことがあるなんておかしい」という反骨精神がありました。「ひとり親だから」「お金がないから」「年をとっているから」こんな理由であきらめたくない、「やってやろうじゃん」と勢いで始めたのですが、本当に大変な毎日でした。でも後悔はしていません。無事国家資格を取得もできました。

子供が小さいながら協力してくれてたことは大きかったと思います。平日接することができない分、せめて休みの日は子供との時間を大切にしたので、休みの日は勉強出来ませんでした。

次の日の仕事のことを考えると遅くまで勉強できない、睡眠時間を削ると体調を崩すので平日も授業時間以外は勉強できませんでした。たまに、有休をとって勉強をしました。

勉強自体は、興味があることなので好きだったのですが、勉強時間が圧倒的に足りず落ちこぼれました。予習も復習もできなくて、先生の質問に答えられなかったり、課題をきちんとこなせなかったり。

私が大学を卒業するまで味わったことのない気持ちを味わいました。「環境さえあればできたのに」。

そして貧困家庭の子供の気持ちが少しだけわかったような気がしました。

何の疑いもなく、自分がそこそこ勉強ができたことを才能と努力の結果だと思っていた頃は、勉強のできないクラスメイトのことを単なる怠け者だと思っていました。

私がこんな気持ちを味わったことは社会福祉士を目指す上での、必然だったのだと思います。

落ちこぼれたことを喜ばしいことと今では思えます。

湯浅さんの著書『ヒーローを待っていても世界は変わらない』をより引用します。


たしかに、私なりの努力はしました。しかし世の中には、私と同じ努力をしても同じ結果に到達できない人はいます。

自分の部屋が与えられず、小さい兄弟が騒がしくする中、また父親がテレビをつけている同じ空間で勉強せざるを得ない人は、私よりも高度な集中力を要求されたでしょう。

自分が望んでも塾に通うことがかなわない人もいます。十分な学力があっても、授業料の高い私立高校には行けないという人もいるでしょう。一年浪人する余裕がない家庭もあると思います。

それでも、自分の努力を積み重ねて東大に入学した人はいると思います。そんな人はいないと言うつもりはありません。しかし、子どもを東大に入学させる家庭の平均年収は一千万円を超えているとう調査結果もあるように、経済力のある家庭の子は有利に、経済力のない家庭の子は不利になります。

しかし大学入学時の私は、そんなことには思い至りませんでした。自分の努力の結果だと思っていた私は、聞かれればこんなふうに答えていたのではないかと思います。

いやあ、私は別特別な人間ではありませんよ。私なりの努力をしただけです。私だって入れたんだからほかの人だってできますよ。あとは、やるかやらないかの問題でしょうねーと。

条件(家庭環境)の異なる人がいることを知りつつ、その違いを消し去るために、あえてそう思っていたわけではない。悪気があるわけではない。単に「見えていない」「知らない」だけです。たいていの子どもは、自分の置かれた家庭環境が、そこに特別なところがあったとしても、「ふつう」だと「こんなもん」だと思うでしょう。他の家庭を詳しく知らないからです。

 ヒーローを待っていても世界は変わらない (朝日文庫)

世界はここだけではない

先日、世界を旅して日本に帰った友達から写真を見せてもらいつつ話を聞きました。怒涛のDV・モラハラ・ひとり親生活に陥って以来、そんな話も久々にゆっくり聞きました。忘れかけていたことを思い出しました。世界は、私が日常を過ごしている「ここ」だけではないこと。

子どもがいじめなどに遭ったら、遭わなかったとしてもしっかり娘に伝えたいことは「世界はあなたが今たまたま暮らしているこの場所だけではないよ」ということ。

常々私自身も思っていることなのに、忘れてしまいがちになるのです。もっとまわりに目を向ければ山あり谷あり、いろんな人生を歩んでいる人がいて、視点を変えれば自分の現状も違って見えるということを。先のことを憂慮しても計画通りにいくとは限らないということも。

展覧会やギャラリーに足を運びアートに触れるとか、普段行かない空間にあえて言ってみるとか、映画を見るとか、ライブに行くとかそんなことでもきっと思い出せるはず。自分のことを考えるのが精いっぱいな時も、時空を超えてまわりの人の生き方に思いを馳せることを意識し、人と比較して自分を卑下したりせず、追い詰められないように自分をコントロールしたいと思います。

そして、ケセラセラ。人生は何が起こるかわからない。今を前向きに生き、そして死にたいです。

 

兄弟姉妹がいなくても

最近、ひとり親友達が増えました。ひとり親向けのイベントで知り合いました。

同じひとり親でも、子ども1人のひとり親と子ども2人以上のひとり親だと、なんとなく共有できる感覚がまた変わってきますが、私の場合子ども1人のひとり親友達が自然と多くなっています。

兄弟姉妹が目下のところ望めないので、子供同士、年齢が違っても兄弟姉妹的に仲良くなってほしいな、と思います。

私自身、ひとりっ子で親が離婚しているのですが、姉のように慕っていた1つ上の友達と小さい頃から親しくしていて淋しくありませんでした。いとことも姉妹のようにすごしていました。

ずっと、兄弟姉妹がいないことで、子どもに申し訳なさを感じているけれど、なんとかひとり親友達との交流を通じて、子どもにも小さいうちから色々なつながりをつくってやりたいと思います。