Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

平塚らいてう

平塚らいてう(1886-1971):女性解放運動家。夏目漱石の弟子、作家森田宗平と心中未遂事件を起こし話題をまく。婦人文芸雑誌『青鞜』を発行。1914年には、青年画家との共同生活に入るが、家族制度を否定するため入籍を拒否。女性問題の評論家として活躍し、婦人参政権運動にもかかわった。戦後は平和運動を積極的に展開する。

平塚らいてう、本名平塚明(ひらつかはる)は、人前に出るのが嫌いで無口なはにかみやだったという。官吏を父に持つ裕福な家庭で育ち、晩年まで上品でおだやかな貴婦人だったとのこと。日本の女性解放運動の原点となった女性として抱かれがちなイメージとはギャップがあるのではないだろうか。

彼女が入籍はせずに二人の子をもうけた画家の奥村博史は、貧苦の中にあっても自分の絵を金に代える努力をいっさいしようとしなかった人である。戦時中の疎開先でも、60近いらいてうの慣れない畑仕事に手をかそうともせず、空と雲の移り変わりを描いていたような人だった。にも関わらず、らいてうはこの男を生涯愛し続けた。

晩年のらいてうの願いは「ベトナムの平和」であり、どこまでも優しく愛情の深い人だったということを瀬戸内晴美編『自立した女の栄光』を読んで知った。

私はフェミニズムについて独学しているけれど、フェミニズムはマイノリティに向ける理解と愛情、平和につながるものなのではないかという思いを勉強すればするほど強くしている。自分自身の権利だけを主張する我儘な女というイメージからはほど遠い、優しい母のような愛情に満ちた女たちがその運動の主翼を担っていたのだと思う。

有名な『青鞜』はもともと文芸誌だったが、「新しい女」に対する社会の無理解と非難により婦人問題を主題に変えていった。因襲結婚への反抗、恋愛の自由、恋愛における男女平等、性差別道徳の撤廃、新しい性道徳、新しい貞操観などが最初のテーマとなったという。しかし、青鞜者は放縦な堕落女の群れと決めつけられた。

これはもう100年も前の話で、私は「青鞜」のテーマとなっていたことは当然のものと、義務教育を受けた人間の間では理解されうるものと思っていた。でも、モラ夫との関係の中で、この問題が現代社会においてもまったく解決されていないということを知った。自分が、義務教育で受けたはずのことは私だけの思い違いであったのか、理想的な建前であって現実との間には大きなギャップがある。