Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

フェミニストとしての高村光太郎①

駒尺喜美著『高村光太郎フェミニズムを読んだ。高村光太郎(1883-1956)と智恵子(1886-1938)は既成の夫と妻の範型に対して身を持って闘った実に新しい男女であったことがわかる。

欧米に留学し、新しい価値観を取り入れ、「人形の家」の舞台にも暗記するほど観た光太郎、家事労働も当たり前のこととしてしていた光太郎。結局のところ、人間主義=個性主義=自我肯定という構図に従い、男の役割と女の役割が分断された制度の中で、光太郎は智恵子を踏み敷いてしまうのだけど、自己の愛が、智恵子の個性を無視する方向においてしか作動しないことを自覚していただけでもやはり当時にしてはかなりのフェミニストと言える。

智恵子という女性は、因習に囚われず、型破りな生き方を出来た強い女であった。それでいながら、無口でひかえめな部分があったのは、「決して彼女の本性がそうであったのではなく、<女役>という形に無理に自己をはめこんでいたからだと筆者は捉えている。「女は狂わなければ自己の表現意欲に従うことが出来なかったことを智恵子は身を持って証明している」と。

<支配>というものは、被支配者みずからの魂を、浸食してしまう。抑圧の最も巧妙なる形は、被抑圧者みずからをして、自己規制させることである。しかし、男と女の間におけるその関係は、もっと悪い。もっと巧妙である。すなわち、みずから喜んで、そして愛をもって自己規制に赴かしめる。智恵子の場合も、智恵子ほどの女性であっても、男言葉で大演説をふるうほどのエネルギーをもちながら、意識の上ではどこまでも、ひかえめ、あどけなさ、自己犠牲といった<女役>の形に、みずからを閉じ込めようとして格闘したのであった。…(略)…

だが、彼女の場合、その意識上の緊縛に、あらがうだけの主体が成立していたので、彼女の内なる精神が、生理的に拒否反応を起こしたのであった。

思うに、昔、鬼になったり幽霊になったりした女たちは、抑圧に従いかねるだけの主体をもっていたのだと思われる。智恵子と光太郎の場合は、夫と妻の関係を、世間公認の主従関係から、何とかして、新しい自由なものに組み変えようと志したのであった。だからこそ矛盾が激化したのである。初めから抑圧・差別を所与のもの、当然のとして受け取っている精神には、矛盾葛藤も、ここまで激化し得ない。抑圧を所与のものとして受けとれない、だが、女役の愛を疑うことのできなかった智恵子には、狂うことによってしか、自己の主体のありかを示し得なかったのである。光太郎は、その痛ましい智恵子の悲劇から目をそらさず、真正面から受け止めた。『智恵子抄』はその証しである。(駒尺喜美著『高村光太郎フェミニズム

古代~明治・大正・昭和初期、現在に至るまで、時代を先取りした新しい女が登場するけれど、その女性を愛し、支えた男たちは、新しい女を選んでいる時点で新しい男である。

フェミニストとしての高村光太郎②に続く

高村光太郎のフェミニズム (朝日文庫)

高村光太郎のフェミニズム (朝日文庫)