Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

ロスジェネの私と就労支援の仕事

雨宮処凛『ロスジェネはこう生きてきた』を自分史と重ねながら読んだ。私は1979年生まれの36歳だ。就職氷河期世代、ロストジェネレーション(2007年の時点で25~35歳にあたる、バブル崩壊後の10年間に大人になった人たち)である。自分自身がロストジェネレーションであることは、私の人生観に多大な影響を与えている。

00年には大卒の就職率が55.8%と、初めて六割を切っている。不況の中、社会から急速に「余裕」が失われていることは誰の目にも明らかだった。企業は即戦力ばかり求め、「使える人間じゃなきゃ価値がない」「市場競争に勝ち残れない人間はいらない」という空気が露骨に社会を覆うようになっていた。そのことは、「生きづらさ」と、決して無関係ではなかった、と今思う。「社会に出る」「働く」ことは、彼女たちにとってはとてつもなくハードルが高いものだったのだ。

大の大人たちもがあっさりとリストラされ、なんとか「社会に出た」友人だちが死ぬほどの長時間労働を強いられ、満身創痍で、場合によっては精神まで破壊された果てに使い捨てられるのを、私たちは目の当たりにしていた。90年代から続くリストラの嵐は、職場に残った人間の仕事量を何倍にも増やし、また、新しく入ってきた若者が滅茶苦茶な長時間労働に晒される、というふうに雇用環境を徹底的に破壊もしていた。(雨宮処凛著『ロスジェネはこう生きてきた』)

新卒の正規雇用で一度は社会に出た自分自身を含めて、当時「社会に出た」友人の体験談はひどいものばかりだった。

マズローの欲求階層説では①生理的欲求②安全欲求③社会的欲求④承認欲求⑤自己実現欲求と、①から⑤へより高度な欲求を満たすために欲求が高まるとある。

しかし、上に引用したような状況下で、当時の私には、②安全欲求「安全・安心な生活、健康」③社会的欲求「社会や組織への所属」④承認欲求「肩書、昇格、賞賛、自尊心」を持つことが馬鹿馬鹿しく不潔なことのように思えた。以来、私は①の生理的欲求から、この②~④をすっとばして⑤自己実現の欲求「個性、挑戦、理想」を求めてきてしまったように思う。

私は、今でも日本で正規雇用として働くことに魅力を感じることが出来ないけれど、ひとり親となったので、正規雇用として働く決心をした。不本意非正規の人が多数派だろうけれど、私に関しては、正規雇用を意識的に選択してこなかった。

ロスジェネでよかったね、ということを同世代の人と話すこともある。それは「状況が厳しいからこそ、考えざるを得なかった」ということだ。もし、それなりに景気がよくて、とくに本気で社会や政治のことを考えなくても生きられてしまったら、私は決して現在物を書く仕事についていないだろう。そしてそれは、他の人にも言えるのだ。時代が崩壊する、その崖っぷちにいたからこそ、私たちは本気で考え、時には行動せざるを得なかったし、今もしている。「考えなくても生きられる」ことは、実はものすごく恐ろしいことだからだ。(雨宮処凛著『ロスジェネはこう生きてきた』)

ロスジェネに限らず、ひとり親になったことを契機に社会や政治のことを本気で考えるようになった人も多いと思う。これは唯一と言っても良いギフトではあるけれど、私は大切にしていきたい。状況が好転しても、きっと忘れない財産だ。昔の自分より、今の自分の方が好きだ。

今勉強している社会福祉士の受験科目には「就労支援サービス」という科目もある。福祉の仕事をしていく上では就労支援に関わることも出てくるだろうが、「自立」の名のもとに「就労」を押し付け、それを「成果(数字)」としてあげて喜んでいるだけのソーシャルワーカーにはなりたくない。

ロスジェネはこう生きてきた (平凡社新書 465)

ロスジェネはこう生きてきた (平凡社新書 465)