反発と共感の分岐点
元夫のDVを体験して、経済的・時間的・精神的に余裕がない中子育てをし、「世間の目」をものすごく意識していました。自分自身を常に「世間の目」という眼鏡をかけて見て、「世間の目」からダメと判断されないように過剰に気を遣っていました。
子どもと外出してちょっと帰りが遅くなること、ちょっと部屋が汚くなることを、誰に見られているわけでもないのに「だらしない母親」「ネグレクト(育児放棄)」と思われるのではないか気にしたり、子どもが泣くと「虐待」していると思われるのではないかと考えたり、異性と二人きりでいることを可能な限り避けたくなったり、夫がいる妻であれば日常生活の中で普通に起こるかもしれないことが、怖くて仕方がありませんでした。
自分が完璧にしていないと、「だからシングルマザーは」というレッテルを貼られそうで怖かったです。そういう心理的なプレッシャーを感じながら生きているシングルマザーは多いのではないかと思います。
シングルマザーの関与する虐待や犯罪に関心を持ち、さらに犯罪全般に関心が広がりました。
鎌田彗著『橋の上の「殺意」』は、33歳のシングルマザーが関与した2人の子どもの死亡事件についてのルポタージュです。
このシングルマザーに共感した人は少なくないと言われています。一方で、マスコミに煽られた世間の処罰感情は強く、彼女には死刑が望まれていました。
斉藤学医師はその反発と共感の分岐点を「幸せに暮らしているひとと精神科医を訪ねなければならないひととの差」と表現しています。
シングルマザーが幸せではないとは限りません。ただ、困窮度合いのデータで見るだけでも、かなり生き辛い状況は現にあります。誤解されて、偏見を煽られて、罰せられたのは私だったかもしれない、と思わずにはいられない本でした。