母子会
孤独にグルメ
時間がなく昼も食べずに仕事をしていたら、出張先からの帰路約2時間(きっと立つことになる)体力が持たなそうだったので、夕食を食べて帰ることに決めました。
せっかく金曜の夜なので美味しいものを食べたいと思い、前から気になっていた郷土料理を置いている居酒屋に入りました。
1人で居酒屋に入るのって8年ぶりくらい。さすがに、帰りの道のりを思うとアルコールは我慢しましたが。
1人で居酒屋、結構楽しかったです。
1人で居酒屋に入ってくる女性も他に何人かいたこともあり、今後も1人で居酒屋いける気がしました。
何だか、パワーアップ出来た気分です。
虫退治の役目
母にしばらく泊まりにきてもらっており、色々助けてはもらっているので文句は言えないのだけど、今日残業中に電話がかかってきたので何かと思ったら、部屋に大きな飛ぶ虫がいるので、退治してほしいという電話だった。母に扉を開けておくなどしてなんとか追い出して欲しいと依頼したが、虫は苦手で絶対無理との返事。
私も虫は嫌いだけれど、子と2人きりの生活で何でも自分がするしかない。自分でも心が狭いとは思うけれど、男性に依存できてきた人には、こういうことがよくあるんだよなぁ、と少し同性嫌悪に陥った。
夕飯も食べずに残業した後、帰りの電車でこれを書いているけれど、24時過ぎに家に到着し、そんな仕事が待ち受けていると思うと、憂鬱だ。
ひとり親になったことで、お父さんの苦悩も少しは味わえているのかな、と思う。
保育園行事に行けなかったこと
転職して、なかなか有休も取りにくくなり、日々子どもと接する時間がないばかりか、たまの保育園の行事にすら参加できないことになりました。
前回の保育参加に出席したときは保護者が来れなかった子どもが一人だけ。皆が、パパやママと作業したりふれあい遊びをする中、先生とペアになってはいるけれど淋しいだろうなぁ、と可哀想に思っていたのですが、今度は我が子がその試練に耐えるのか、となると日々の負い目もあり、気が気ではなくなりました。
ほかの保育サービスを、使ってでもお休みさせたいくらいの気持ちになったりもしました。
「ごめんね、ママ、今度の保育園の行事に行けないんだ」と子どもに伝えると、「えーっ、来て欲しかった」と子ども。
そのあとに、でも「お母さん来れない子は先生と遊べるからいいよ」と言ってくれたのです。
淋しい気持ちも少しずつ経験して、それを乗り越えていく術も身につけていってくれたらなぁ、と思うと同時に参加できなかった分、たっぷりフォローできればいいな、と思いました。
漫画を読んで泣いた
漫画を読んで泣いたのは久しぶりだ。
この人はどうしてこんなにまでわかるんだろう、と村上たかしの漫画『ぱじ』を読んで思った。
両親を亡くした4歳の女の子を養育するおじいちゃんと孫の物語。自分が死んだらこの子はどうなってしまうのだろうという思いや、マジョリティの家族の姿に繊細に反応してしまうあたり、ここに描かれたおじいちゃんの気持ちは、私自身が日々味わっている気持ちだ。
村上たかしさんをよく知らなかったので、もしやと思い調べてみたけれど、彼はひとり親ではなく、幸せな家庭を築いておられる方のようだ。経験していなくても、想像力を持つ人には『ぱじ』に描かれているようなことはわかってもらえるのだなぁ、と少し驚いた。
二分の一成人式を肯定する人と話した日だっただけに、マジョリティの想像力に限界を感じていたけれど、まだまだ希望は捨てずにおきたい。
亀を飼おうかな、と思った。
育てにくい子
子どもが生まれた時から、育てにくい子だと感じていた。
5歳になった今、特に育てにくいとは感じないようになった。
卒乳し、歩けるようになり、排泄も自立したこともあるが、子どもの情緒も安定してきたのかな、と思う。私の情緒が以前より安定してきた影響もあるのだろう。
DVを経験し、ひとり親となった人は、子どものことを育てにくいと感じている人の割合が多いのではないだろうか。
別居し、子どもと二人暮らしを始めたころは、ひとり親だからこうなのだと、子育てについて批判されたくないという思いが強く、なかなか人を頼ることも出来なかった。相談はあまりせず、自分で本を読んだりし勉強することが多かったと思う。
私が育てにくさを感じていた点は次の点だ。
駄々をこね、要求を通そうとし続けること。外出先で、泣きわめかれて周りの注目を集めることもしばしばだった。
今では原因がわかる。私は、ひとり親という負い目があり、子どもに毅然とした態度をとることが出来ていなかった。
時間的にも精神的にも余裕がなく、子どもの要求を聞いてしまいがち、安易な方法を選んでいたのだと思う。
子は忙しい時に限って困った行動をもとっていた。
これも、今なら理由がわかる。
子どもと関わる時間が十分取れなかったり、裁判のことに気を取られていたりだったので、子どもはもっと私の注目を集めたかったのだと思う。
実は昨日も久々ではあったが、外出先の道端で15分ほど泣かれた。当時の苦しさをまた思い出した。
子どもの特性によって、育てにくいということは確かにある。子育てのプロと言われる人だったとしても苦戦するような子はいるだろう。
母親は自分が間違っているのかと自分を責めがちになるかもしれないし、子供をも責めてしまうかもしれないが、そのどちらも間違っている。
きちんとした支援者(親や子にプレッシャーを与えない)の力を借りて、おおらかに構えられるようまずは母親としての自分自身を大切にして欲しい。
そして、関わり方についてアドバイスを受けながら、それがすぐには効果を見せずとも、根気強く子どもと付き合って欲しい。
キッズ脱毛を考えたことについて
ひとり親ということで、何かと気が張っていることに気付くシーンがたくさんある。
ひとり親であることに加えて、いじめられるとか勉強についていけないとかそんな苦労を子どもにさせたくない。もちろん、どこの親もそうは思っているだろうけれど、父親と2人で支えられないぶん、余計心配してしまう。
なんだか、違う方向にいってるかもしれないと思いつつ、そんな理由で、この度キッズ脱毛を子どもに受けさせることを決意した。自分でもフェミニズムだなんだと言ってることと矛盾しているなぁ、と思う。
私としては、子どもに見た目を気にしてばかりにならないで欲しいと思うし、見た目を過剰に気にするのはくだらないことだと思っている。
でも、子どもたちと接している中で、子ども社会の残酷さを感じることも多々ある。
娘は、かなり毛深くて、肌の色が濃い。女の子社会の中で、口ひげのことを言われて傷つくのは時間の問題だろうと、娘が2歳くらいの頃から思っていた。子どもから、からかわれたという訴えはまだ無いに関わらず、私自身が子どもに説明してキッズ脱毛を子どもも受ける気になった。
私自身の経験から、口周りの産毛は変に剃ると余計目立つこともあったり肌が荒れたりすると知っていたので、下手に私が触るのは危険かなと悩んでいた。
決して安くはないお金をかけて、安心なキッズ脱毛を探して脱毛をさせた。子どもは肌がすべすべになったと喜んでいる。
保育園の先生などに知られたら少し恥ずかしいなぁと思ってしまうような決断である。
男の目を気にしての脱毛ではもちろんなく、アイドルや美少女アニメを見慣れてる女児の目を親の私が気にしての決断なのである。
もやもやした気持ちだ。