児童虐待とひとり親
最近も話題性のある児童虐待のニュースがあり、世間は思い出したかのように憤っていたけれど、もう随分前から頻繁に児童虐待のニュースはあるわけで、この騒ぎも一時的なのだろうな、と思ったりしていた。その後、地震があって、関心はそちらに移ってしまったのかな、と思ったりもしている。
下書き記事がたまってしまったので、下書きは消去し、新たな記事を上書きしようかと3年前の下書き記事をみたら、自分が児童虐待に関心を持っている理由が書かれてあった。
子どもという大人と力関係において対等ではない存在のあらゆる可能性を秘めた人生を破壊するという痛ましく忌むべき犯罪であるため
家庭という密室の中で行われる犯罪=DVであり、夫婦間DVとの共通点も多いため
児童虐待の加害者に離婚経験者やシングルマザーが多いという報道をふまえ、シングルマザーとして加害者になりたくないという恐怖心があるため
DV夫と裁判で争うにあたって、何を児童虐待と呼ぶのか知っておかなければならないという義務感があるため
とのこと。
私が3年前、続けて何を書こうと思っていたかはわからない。改めて今現在思うのは、特にひとり親は、児童虐待について知識を持っておくべきということ。
再婚する際参考にできる知識だと思うし、再婚しない場合であっても、もし、子どもを自分が虐待することになってしまったら、子どもを苦しめるし、そのことにより自分自身も苦しむことになるから。
フェミニストカウンセリングのこと
そういえば、このブログに大事なことを書くのを忘れていた気がする。私が、夫のDVに悩んでいた時、知識や経験不足による相談員の心無い言葉に傷を受けていた時、フェミニストカウンセラーだけが安心できる支援者だったということ。
フェミニストカウンセリングは、女性のための女性によるカウンセリングで、「女性の生き難さは個人の問題ではなく、社会の問題である」というフェミニズムの視点を持ったカウンセリングだ。個人カウンセリングだけではなく自己尊重トレーニングなどにも力を入れている。
私は個人カウンセリングを受けたことはないけれど、フェミニストカウンセラーの講座に何度か参加し、直接質問などして問題解決のヒントを得たり、勇気付けられたりしてきた。
今、なぜフェミニストカウンセリングのことを思い出したかというと、自分自身の問題がある程度解決したら日本フェミニストカウンセリング学会に入ってフェミニストカウンセラーの勉強をしたかったからだ。
私自身の問題は、ひと区切りついたかなと思っている。フェミニストカウンセラーになりたいという考えは今はないけれど、フェミニストの視点を持ったカウンセリングについては今後も学んでいきたい。そして、なんらかの活動に活かしていきたい。
今問題を抱えている人には、ぜひフェミニストカウンセラーに出会ってほしい。
建設的な怒り
下書きのまま終わっている記事にこんなものがあった。
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仮にも世界史や日本史を学び、テレビのニュースを耳にし、世の中本当にひどい人間がいるということは学んでいたはずである。でも、実際、現実の私の生活空間の中には彼ほど悪質な人間はいなかった。この年になってようやく世の中にはひどい人間がいるということを実感として得られたということは幸か不幸か。今後物事を考えていく際に深みが出るのなら幸いだ。
エドワード・サイードは、「自分には怒りはあるが、憎しみという感情はあまりわからない」と言っている。憎しみにくらべて怒りは建設的であると。なるほど、怒りと憎しみと現在混在した私の気持ちは、建設的な怒りに持っていきたいと思う。
銃により安心が確保できるどころか、むしろそれが不安を掻き立て、さらにみずからの暴力性を引きずり出すというようなことになっては、彼と同じ穴のむじなだ。
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以上が、下書きのままに終わっていた書きかけ記事だ。このあと、何を書きたかったのかは思い出せない。
現在の私は、元夫に対する憎しみはほぼないかな、と思う。また元夫に会ったりしたら復活してしまうのかもしれないけれど、怒りもほとんどない。過去を思い出すと、残念な気持ちというのが怒りより大きい。
そして、たまにDVの渦中にある人の話を聞くと、その相手に対する怒りが湧き上がるといった感じだ。
これでいいのかな、と不安になる。
建設的な怒りを保ち続けることのほうが辛いけれど、あえてそうして闘ってきた人たちの成果を受け取り私は生きているのだし、自分の経験を活かし、次の人にバトンを渡して行きたいな、と思う。
子どもの前で笑顔でいること
2014年にNHKで放映されたらしい番組『君が僕の息子について教えてくれたこと』をDVDで観た。こういう番組がテレビで放映されているのかと思うと、テレビのある生活も良いのかなと一瞬思う。
東田直樹著『自閉症の僕が跳びはねる理由』は、自閉症を持つ人がどのようなことを感じているのかを綴ったエッセイだ。2007年に発行された本だが、未読なので早く読みたい。
自閉症の人と接する機会は今までに何度かあったし、自閉症と思われる人はよく電車の中などでみかける。自閉症について教科書的な知識は何度も読んだけれど、よくわからなかった。そして、よくわからないだけに、半ば恐る恐る接してきたと思う。この番組を観て、「そうだったのか」とやっと思うことが出来た。そして、今まで抱いてきた恐れは消えた。
この番組は、東田さんの著書を翻訳したアイルランドの作家デイヴィッド・ミッチェルや、東田さんの著書に希望を見出した世界中の自閉症の子どもを持つ親へのインタビュー、東田さんとデイヴィッド氏との交流などで構成されている。自閉症の子どもを持つ親にはもちろんのこと、自閉症の人と接する機会のそれほど多くない人にも観て欲しい番組だ。自閉症の人と出会った時のまなざしがきっと変わる。
東田さんの語ったことの中で印象深かったのは、子どもが一番見たいのは親の笑顔ということ。親が自分のせいで苦しんでいると思うとなりよりつらいという趣旨のことだ。自閉症に限らず、きっとすべての子どもに共通することなのだと思う。
子どもにも自分にも今後どんなことが起こるかわからない。子どもの前であっても泣きたい気持ちになる時があるかもしれない。これまで私も、子どもの前で涙を見せてしまったことが何回かある。親にそのつもりがなくても、子どもは自分のせいだと思ってしまうかもしれない。
子どもの前で笑顔でいることを心がけようと強く思った。
エアコンを買ってしまった
ドキュメンタリーの力
2008年の公開から10年も経って、ドキュメンタリー『モンサントの不自然な食べもの』を観た。世界の遺伝子組み換え作物市場の90%を誇るグローバル企業、モンサント社の裏の姿を追ったドキュメンタリーだ。
この映画は、42カ国で公開されGM政策に大きな影響を与えた。やはり、ドキュメンタリーはすごいし、ドキュメンタリーの監督はカッコイイ!そして、巨大企業の圧力に負けず真実を発信してきた学者等の証言者たちもカッコイイ!
監督はインターネットで調べた情報を手がかりに証言者に電話をしたりアポを取ってドキュメンタリーを撮っている。誰にでも出来そうな身近な手法というのも面白い。
フランスでは、この映画を150万人が観たという。遺伝子組み換え食品も禁止されている。日本ではどのくらいの人がこの映画を観たのだろうか。
私は、丁寧な暮らしを心がけたいと思い、食に関することも気にはしているが、つい昨日も安心で安全な食品のみを取り扱うスーパーに立ち寄っておきながら、値段の高さに躊躇し、そのスーパーの商品の3分の1ほどの価格で購入できる普通のスーパーで食品を購入した。
意識は出来ても実践するには、利便性の問題であったり経済的な問題で難しい。
それでも意識しているだけマシだとは思う。
この映画、面白くはあるけれどなかなか重く、途中何度か休憩を挟んで観た。
正直、子育てしながら子供と一緒に観たり、仕事から帰ってきてから観るってきっと私にはしんどい。
無職のうちにたっぷり観貯めしておこうと思う。
そして、何年か経ったら仕事を辞めて、今のような無職期間を作ることが私にはどうしても必要だと思う。
http://www.uplink.co.jp/monsanto/
図書館通い
無職になってから、頻繁に図書館に通っています。最寄りの図書館だけでは飽き足らず、自分が借りる資格のある図書館を交通費までかけて巡っています。