Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

子どもたちに語り、伝えなくてはならないことの意味

終戦記念日ということで、戦争にまつわる本を読みました。ずっと持ってはいたけれど、重くてなかなか読む気になれなかった本、S・ブルッフフェルド/P・A・レヴィーン著『語り伝えよ、子どもたちにーホロコーストを知る』です。この本は、スウェーデンのヨーラン・ペールソン首相の提唱により作られました。歴史を知らない若者が、ネオナチの宣伝や人種・民族差別思想に無防備であることに危機感を抱き、民主主義の諸価値と人間的モラルについて子どもたちと対話する機会を作るべきだと考えたことによります。この本の初版はスウェーデンにおいて、日本でいえばほぼ7百万部のベストセラーに当たるものになったということです。

ナチスは戦争中およそ百五十万人のユダヤ人の子どもたちを殺害しました。最初は実験モルモットとされた子どもの話。続いて、子ども用のユダヤ人排斥ゲームや絵本の画像、「ジプシー」を自称して悲劇的な運命をたどったボクサーの話、囚人服を着せられたユダヤ人障害者たちの写真、授業で先生からクラスのみんなの前に立たされ辱めを受ける二人のユダヤ人の子ども、路上で死にゆく子どもの傍を淡々と通り過ぎる人々の写真などが続きます。

誰から強制されたわけでもないのに、お腹と頭がずきずき痛み出しても、読まなければならない気がして読み終えました。坂本龍一が推薦文を書いていたのだけれど、坂本龍一も最後まで読んだのだから、と思いつつ心臓をばくばくさせながら次のページをめくっていきました。

この世に生きることは実に危険だ。それは悪事を働く者のせいではなく、そばにいながら彼らを容認している者がいるからだ(アルバート・アインシュタイン

ホロコーストに疑いの声を発することなく追従してた人々の大半は「普通の人々」で、自分の意志で犯罪に加担しない選択肢は誰にも与えられていました。ホロコーストのことは「理解しよう」と思わないように、理解することは不可能だから、とアウシュヴィッツ政治犯として囚われていたフランス人作家シャルロット・デルボは本の中で戒めています。

とはいえ、理解できないまでもホロコーストを否定したり無関心でいることもできないのです。

私たちは恐ろしいものから顔をそむけ、見聞きすることを拒否したい誘惑にかられる。しかしそれは、抵抗すべき誘惑である。(プリーモ・レーヴィ

出来れば知りたくないこと、目を背けていたいことってあるけれど、見ないでいることは傍観者でいるということと似ています。人には傍観者であることを選ぶ自由が確かにあります。人が傍観者であることを選択するのは、自分自身を守らなければならないと思ってのことだと思います。でもそのことが本当に自分を守ることになるとは限りません。立場はいつ逆転するかわからないし決して自分に無縁のものでもありません。偽善とかでもなんでもなく、私に関して言えば、悲惨な出来事を自分自身のために直視しようとしているのだと思います。

自分の子どもにも、苦しいことだけれども知ってほしいと思うのは、やはり自分自身を守って欲しいからだと思いました。

当時の人々は、違う選択もできたはずだ。いや、彼らはそうすべきだった。そして、一般市民ははっきりした抗議の声をあげ、犠牲者を救えたはずだ。

どんな場合にも正しい選択は存在する。そのことを子孫に教えていくことは常に、親、教師、政治家をはじめとする大人たちの責任である。それは、悪い選択がどのような結果をもたらすかを熟知し、理解してはじめて、可能なのである。

だからこそ、私たちは子どもたちに語り、伝えなくてはならない。(S・ブルッフフェルド/P・A・レヴィーン著『語り伝えよ、子どもたちにーホロコーストを知る』より)

語り伝えよ、子どもたちに  ホロコーストを知る

語り伝えよ、子どもたちに ホロコーストを知る

 

 もう中古でしか手に入らない本なのが残念です。