Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

離婚で救われる子どもたち

『離婚で壊れる子どもたち』、DV・モラハラの経験者としては「何もわかっていない」と思ってしまう。『離婚で救われる子どもたち』もいるのだと。

DV・モラハラの体験記をインターネットなどで読んでいると、面会交流に関して、どんなにひどい父親にでも会わせることに決定され、そのことにより母子ともにいつまでも苦しむことになっているケースを多く見る。裁判官や調停委員、調査官が、面会交流に関して敵も同然になってしまう(彼らは面会交流を良いものであると思い込んでいる)ことは、私のこれまでの常識をくつがえすようなことだった。これだけ夫がひどい人間であるということを説明しているのに、それでも面会交流を義務付けるというのは多くの人間の普通の感性なのだろうか。

では、面会交流を良いものと思い込む背景を知る必要があると手始めに読んでみたのがこの本、棚瀬一代著『離婚で壊れる子どもたち』である。

三歳になる前の離婚の場合「両親揃った家族」の記憶がなくなるらしい。また、三歳から五歳児は、基本的に道徳的な判断をしないのが特徴で、離婚の事実を知ってもどちらが悪いか判断しないのが特徴とのことである。どちらが悪いか判断しないということは仮にモラ父親が母親の悪口を吹き込んでもそれによって騙されることはないということなのだろうか。

読み進めていくうちに、「あれ、意外と中立的な論かな」と思っていたのだけれども、第五章「高葛藤離婚で壊れる子どもたち」に挙げられた5つの例は、いずれも父親が育児にも関わってきたそれほど悪くない父親で、母親が子どもを父親を嫌うように洗脳しているかのような例ばかりで非常に偏りがあると思った。やはり善なる別居親の視点での本なのだと思う。子どもの心が壊れていく離婚プロセスとして共通していることとされていたものは

子どもを連れての勝手な別居開始ー外国では「拉致行為」であった。ちなみに私の離婚の場合は①協議離婚を求める話し合いを何度ももちかけたが応じてもらえなかった。②出ていけと何度も言われている、一方で出て行かないで欲しいとたまに言われることもある。という状態であり、これをモラ夫からは勝手な別居とモラ夫の親や調停員に吹聴された。このような場合、勝手な別居にあたらないと思う。
モラ夫の場合、仮に別居時に別居先を明らかにしたら、別居についての話し合いをしたら、先手をとって子どもを連れ去ってしまうかもしれない。米国の場合、勝手に家を出た親は「離婚後の子どもの監護について争いがあるときには、別居親にたいしてより友好的である親、つまり別居親に子どもをより頻繁かつ継続的に合わせるであろう親に監護権を与えることにする」という条項があるらしいが、勝手に家を出た親という基準はどこにあるのだろうか。勝手に家を出ざるをえない状況が考慮されるのであればよいが。

別居親と子どもの交流への強い抵抗ー片親阻害という病

こうした母親(父親)に見られる特徴は、自分の前配偶者に対する思いと、子どもの父親(母親)に対する思いが別であるかもしれないということへのイマジネーションが微塵も働かないほどに、親子の境界がなくなってしまっている点である

こうした親と子どもの境界のない癒着した状態は、言い換えれば、子どもの思いへの共感力の欠如であり、子どもの思いを自分の思いで支配し、子どもを親の思いに服従させてしまう行為である。(棚瀬一代著『離婚で壊れる子どもたち』より)

これについては、例えば私のケースの場合、私が子どもの交流への強い抵抗を示すのは大人であった私さえ見抜けなかったモラ夫の「利己的な感情からくる外見上の愛情表現」に騙され餌食になること防ぎたいという思いによるものだ。一回人を騙してずたずたにしている殺人鬼からの手招きに、別の人間には同じことをしないかもしれないという理由で「行きなさい」と背中を押せるものだろうか。行って殺されてしまったら、取り返しがつかないのだが。
事情を配慮せず面会交流を強行しようとする者はすべて何かあった時の責任をとって欲しい。仮に彼らが責任をとったところで取り返しのつかないものはつかないのだから危機感を持っているシングルママは子どもを守るために戦い続けましょう!

離婚で壊れる子どもたち 心理臨床家からの警告 (光文社新書)

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