負け犬からソロ活女子へ
塩野七生著『日本人へ 危機からの脱出』の最初のページには「やらないで後悔するよりも、やって後悔するほうがずっとよい」というニコロ・マキアヴェッリの言葉が引用されていた。
この本と同時並行で読んだのが酒井順子著『負け犬の遠吠え』である。
『負け犬の遠吠え』は、林真理子が解説で「わたしは断言してもいいのであるが、あと五十年後百年後、2000年代の日本の女性について調べる際の第一級の資料になることは間違いない」というような、ベストセラーだ。
20年も前のベストセラーではあるが、未読だったので、最近、私のフェミニズム熱が復活したことをきっかけに、是非読んでおこうと思っていた。
偶然にも、『負け犬の遠吠え』にも、同じニコロ・マキアヴェッリの言葉があった。
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負け犬がよく口にする言葉として、
「やらないで後悔するくらいなら、やって後悔した方がいい」
というものがあります。私達はいつもその言葉を胸に、「面白いこと」に対して突進してきました。
この言葉は、一瞬真理をついているように見えるのです。同じ後悔をするのであれば、何もしないでいるより、何らかの経験を伴っていた方がいいのではないか、と。
私達はしかしその時、「やらない」という選択をすることによって、後悔そのものをせずに済んでいる人もたくさんいるということを忘れています。目先の面白いことを捨てることによって、人生の根本に関わるような大きな後悔もせずに生きている人のことを、
「やらないで後悔なら、やって後悔!」
と叫ぶ負け犬は、見て見ぬフリをしているのです。
面白そうなことを、どうしても選んでしまう。これは負け犬の性であり、業であります。(酒井順子著『負け犬の遠吠え』より)
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負け犬という言葉は何か嫌だなぁ、と思ってきたけれど、私は面白そうなことをどうしても選んでしまう負け犬であることを自覚した。
ひとり親のことについてはほとんど書かれていなかったのが残念だけれど、負け犬を自覚した私には共感できる部分も多く、面白く読めるエッセイだった。
オスの負け犬との座談会で、酒井さんは、負け犬らしいこと(歌舞伎座に行くことなど)をしているのを、勝ち犬に見られたくないというようなことを書いていたのが印象的だった。
それから約20年後の今、ソロ活女子というものが現れた。負け犬らしいことを恥じずに堂々と楽しもうと試みる女性が、自然に世の中に受け入れられるようになってきた象徴だと思う。20年の歳月はかかったけれど、少し進歩している気がする。喜ばしい。