Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

ひとり親としてPTAを考える

PTA不要論 (新潮新書)

PTA不要論 (新潮新書)

PTA問題はひとり親として、非常に頭の痛い問題だと思う。仕事と子どもとの生活をこなすだけで精一杯なのが私の現状だ。自分の空いた時間にできるボランティアなら気が進まない内容でもまだ出来る。本当はPTAもボランティアのはずなのに、そこに強制的な力が働くので、こんなにストレスを感じるのだと思う。きっとほとんどの人がやりたくないことだから、あの人だけ活動しないでズルいというような陰口や仲間外れなども発生する。内部の人間関係のことも含め、考えるだけでお腹が痛くなる。
私は今のPTA会長が怖い。地元の名士である。その人の会長就任の言葉を読んで怖いと思った。自分はいかに忙しいかを書き連ねたうえで、誰もやりたいと思わないかもしれないが、自分はこんなに忙しいのに会長を出来ている。だから、ほかの人もPTAの活動に参加できるはず。個々人が子どものために高い意識を持つべき、という趣旨の内容だった。
その文面を読み大きなストレスを感じ、PTAをしっかり知っておかなくてはならないと思った。黒川祥子著「PTA不要論」を読む。
1947年3月に「父母と先生の会〜教育民主化のために」というPTA結成の手引書が作成され、全国の都道府県知事に発送された。その手引書は以下のように結ばれているようだ。
>>「父母と先生の会」は子どもの幸福のために働き(略)、悪い状態を取り除く。したがってそれは学校のある市や町や村を浄化し、改良していくことにひろがっていく。(略)教育的でないものを社会から取り除いたり、教育になることを社会へ奨励したりする力と権力がどこかになくてはならぬが、「父母と先生の会」はまさにこのための絶好の組織であろう。<<
とても気味の悪い文章だ。一方的な排除や抑圧に率先して関わる組織がPTAの実態だったのか、とショックを受ける。
そして、「コサージュ裁判」に象徴されるような非会員の子どもへの大人による差別は愚の骨頂と思った。
今年度、コロナでPTAのイベントも大きく減っている。それで私が困っていることは何ひとつない。むしろ、救われている。
例えば、私が昨年参加した活動は、家に誰もいないため、子どもを夜の活動に一緒に連れて行かねばならなかった。仕事が終わり、学童に迎えに行った後、家に帰って夕食を食べる余裕もないので学校の近くで外食し、活動が終わる夜遅くまで子どもを待たせて、家に帰ってからお風呂にいれて寝かせる(当然生活リズムがずれて崩れる)、というストレスのかかる仕事が、役員ではなかったが、トータル7回ほどあった。それがない。なくても良かった活動だったのだと思う。