今考えていること(コロナ・福祉・DV・ひとり親についてなど)
新型コロナウイルスが猛威をふるっている今、DVや離婚、家庭内の問題が増えているというニュースを読んだ。
別居前の自分自身を振り返ると、週末の休みや、長期休暇で、夫といる時間が長くなることがたまらなく苦痛だった。それすら苦痛だったのに、距離を置くための外出もままならないこんな状況下、毎日同じ家の中で生活すせざるを得ないのであれば、どれだけ悲惨なことになっているか、想像するだけで息がつまる。
学校に行けず家にいなければならない子供にも多大な被害が及んでいることと思う。
そんなストレスから解放されているはずの私すら、自分自身や娘、両親がコロナウイルスにかかって死んでしまうことになったら、どうなるのか、常に考えてしまう。職を失い、経済面での十分な補償もなされなかったら娘をどうやって養っていけば良いのだろう、とも考える。日々不安でたまらずストレスが溜まる一方だ。
私がコロナに罹患したら、高齢で基礎疾患もある両親に預けるのもリスクが高い。児童相談所が動き、娘は施設に預けられるのだろうか。ただでさえ、空きがない施設にそんな余裕があるはずもない。施設での集団生活自体リスクも高い。
この状況が長期化するなら、身寄りがなくなっていく人たち(ひとり親の子ども、氷河期世代で職がなく親の収入に頼って生活している人など)、コロナ以前から社会的弱者だった人から順にコロナにかからずとも、ほかの理由(経済的困窮、絶望による自殺など)で消されていってしまう。
コロナ以前から、社会的弱者はさらに厳しい局面に追い込まれる一方だったのだから、あらゆる人が一様に不安に苛まれている今、今さら社会的弱者に救いの手が差し伸べられるはずもない。
こんな希望のない状態を、戦時下の生活に置き換えて考えてみたけれど、人と人との繋がり、支え合いがあったからこそやってこれた部分は大きいと思う。
そんなこんな考えているうちに、愛こそ全てだ、と思った。
これは、娘がいてよかった、両親が生きていてよかったとかいう、単純な話ではない。
例えば、私が独身者であったとしても、こんな時こそ誰かに愛を注ぎたい。その対象をみつけたいと思う。
濃厚接触のある福祉の仕事が、コロナの初期は少し嫌になっていた。感染リスクが高いから辞めたいとすら思っていた。でも、今は、人との繋がりがある仕事でよかったと思っている。
愛を注げる人がたくさんいる。
身近な人が死んでしまってひとりになっても、自分も死のうなどと思わずに、愛を大切に生きていきたいと思う。