Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

福祉は偽善か

福祉の仕事をしていると誰かに伝えて、それを偽善だと言われたら、なぜ彼らがそう思うのかを聞いてみたい。このテーマで話し合うことは面白そうだと思う。私自身は、福祉の仕事をしている人を偽善者だと特段思わない。

考えてみると、私は福祉の仕事をはじめて4年目くらいだが、善いことをしていると思ってしたことがない。自分が高齢者になったとき、障害者になったとき、ひとり親として自分が死んだら我が子はどうなるのだろう、という心配から自分のためにこの仕事をはじめた。

ボランティアでもなく、賃労働として福祉の仕事をしている。別に、福祉の仕事をしているから偉いと思っているわけでもない。ほかの仕事より価値が高いとも、低いとも考えない。福祉労働者の待遇の低さには不満を持っているが、やりがいも感じているし、自分が得ているものは大きいと思っている。それは、善いことをしている満足感というより、学ぶことが多いという満足感や、純粋に誰かと笑い合う幸福感だったりする。

職場では、ボランティアででるイベントもあるが、私はあまり出ていない。自分のしたいこととの優先順位を考え、イベントに出ても良いと思ったときだけ出ている。

仕事の中で、独善的にならないようには気をつけている。ことばにして気持ちを表現できない人たちの気持ち考え、職員が予測して動くことが、実はその方を嫌な気持ちにさせるようなことだったり、余計なことになってないか、など。

美談に聞こえるようなことを、売名行為とか偽善という人は、そう言っておけばいいな、と思う。

東日本復興支援に際して、杉良太郎は、「ああ、偽善で売名ですよ。偽善のために今まで数十億を自腹で使ってきたんです。私のことをそういうふうにおっしゃる方々もぜひ自腹で数十億出して名前を売ったらいいですよ」と言ったようだ。

偽善というテーマについて考えるのは面白そうだが、自分が偽善者だと言わたり、思われるならそのままでもいいな、と思う。

そもそも、偽善者が悪いと思ってはいない。むしろ、私は偽善的なことが出来ないかもしれないことが少し怖い。自分が、親の介護に疲れたら、偽善的な顔をしてやっていられないのではないかと思う。愚痴を言いまくる気がする。自分には出来ないと言うかもしれない。見苦しい状態になるだろう。忍耐力に欠けるという特性が自分にはあるので、そのことが露呈すると思う。

最近、自分が善きことと思ってやったことはなんだっただろうかと、無理やり思い返してみると、汚い公共のトイレを自分とあとの人が気持ちよく使えるために、少しきれいにしたことかな、と思った。でも、それは自分のためでもあったし、ほかの人のためになるから、善きことだからとやったことではない。今、このテーマで記事を書く中で考え、もしたらあれは、ほかの人にとっても善かったかもしれないと思うだけだ。