Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

男性の弱さという視点とDV

学生の頃、文学や芸術が趣味の男性と喫茶店で話していた内容を割とはっきり覚えている。彼は、「女性は良いなぁ。就職しなくても、主婦になるという選択肢があるから」と言っていた。私は、バカにされたような気がして、女性の生き辛さを訴え、彼の言ったことの意味を深く考えていなかった。
でも、この本を読み、彼の言っていたことが少しわかった。男性の中にも、根深いミサンドリー(男性嫌悪)があるということを。自らの痛みに気づけない男性が多い中で、彼は、自らの痛みを自覚し、向き合っていたのだろう、と思う。それは、男性の共感を得にくいから、女性の私に話してみたのかもしれない。
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資本主義的な労働の過酷さ。男らしくあらねばならない、という責務。仲間のためというプレッシャー。妻への不断の気配り。世の中からの、男性に対する様々な批判。どんなに嫌でも、他人や社会的な弱者を蹴落とさねば生きていけない(能力主義)という現実に対する吐き気。それらを黙って呑みこんで、我慢して、一人の自立した強い「男」であり続けなければならない、ということ・・・・・・。
資本主義と性分業と優生思想(能力主義)が絡みあっていくポイントとしての、男性嫌悪。
我慢や沈黙こそが、実は間違った男らしさへの優生的な執着であり、所有欲望かもしれない。
弱いものが、より弱いものを叩く。自分の弱さを認められないから、一番嫌な最低の暴力を、自分より弱い立場の誰かにふるってしまう。そしてそんな暴力の記憶を、あとから正当化したり、集団の責任に解消したり、無感覚になったり、かえって自分こそが被害者だったのだと思いこんだりしていく・・・・・・。
DVもまた、一種の暴力嗜癖となる場合があり、資本主義的な競争に対する不適応に陥った人が、暴力によって「男らしさ」を過剰な形で取り返し、それによってアイデンティティを補完する役割がある、と言われている
杉田俊介著「非モテの品格-男にとって『弱さ』とは何か」より)
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杉田俊介著「非モテの品格-男にとって『弱さ』とは何か」から引用した。品格本ブームにのってつけられたかのようなタイトルから内容を誤解する人もいるかもしれない。少し勿体無いと思う。この本の面白いところは、このようなタイトルでありながら、障害者福祉の話に展開していくところである。そのテーマについては、このブログの記事も分けて書きたい。話を戻す。
怖いと言えること、泣けること、逃げられることは、大切なことなのに、「男らしさ」を守るため、自らの脆弱性や恐怖を否認せざるをえない状況に陥っている男性。
今は、学生時代語り合った彼に共感できる。女性の方が良いとは思えないまでも、男性が羨ましいとは、思わない。
男性によるDV、事件、その当事者の背景を考えみていくなかで、男性の「弱さ」という視点は重要だ。