Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

古い本や映画/親友と久々に会った話

古い本や映画が、好きです。5年前、10年前、50年前、100年前、もっと前の本や映画も。
それは、自分が生きた時代ならその時代の空気感を思い出すことが出来るからです。生まれる前の時代なら、その時代の空気感を想像できるからです。 で、そんなに古くもないのですが、2008年に発行された本雨宮処凛の闘争ダイアリー』を読みました。
格差社会とか、派遣労働者とか、プレカリアートとか、そんな言葉がよく聞かれていた時代の本です。当時、私が書いていた別のブログの記事にも、プレカリアートという用語を出しており、意識していたことがわかります。
雨宮処凛の闘争ダイアリー』は、ブックガイド的な要素もあり、興味を持った本を5冊ほどAmazonで注文しました。
本の中で紹介されていたナオミ・クライン『ブランドなんか、いらない』の引用も、私の当時の怒りを思い出させるものでした。そして、社会の状況はさほど当時から変わっていないばかりか、悪化しているような気さえします。
この怒りは個人の怒りを超える。たとえ自分が運良く仕事を見つけ、一度もレイオフされなかったとしても、誰もが今の状況をよく知っている。子供や親、友人が不幸な立場に追いやられているからだ。
道ばたで寝ている人は、私たちの時代のもっとと力強い経済イメージだった。これは、集団の意識に焼きつけられた、悪びれもせず人間より利益を優先する経済のメタファーである。このメッセージを、90年代前半の不況時に就業年齢に達した人々は確実に受け取った。ナオミ・クライン著『ブランドなんか、いらない』
先日、久々に遠方に住む高校時代の親友と会う機会がありました。長年正社員として働いてきた、仕事の出来る彼女ですが、話すと転職を考えているとのことでした。自分たちと同世代、氷河期世代の力になれるような仕事をしたい、とのこと。まさに、上の引用文を地で行く感性を保っていたことに、感動しました!さすが、我が親友☆

 

雨宮処凛の闘争ダイアリー

雨宮処凛の闘争ダイアリー

 

 

 

ブランドなんか、いらない―搾取で巨大化する大企業の非情

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