主婦とか妻とか伴侶とか
超勤が多すぎて、ほぼ自分の娘をネグレクト状態だった時の下書きが残っていたので、あげることにしました。
↓
仕事はいくらやっても減らないどころか増える一方。ご飯もそこそこに働いているのだけれど、明日も早朝から出勤できる程度にと自分の体調と体力のことも考えて仕事を切り上げ、帰りの電車の中にいる。
子どもはすでに寝ており、育児をお願いしているおじいちゃんも寝ていると思う。遅く帰ったことを詫びておじいちゃんには自分の家に帰ってもらうことになる。同居ではないこともあり、父(娘にとってのおじいちゃん)には、かなり負担をかけている。
もし私に家のことを切り盛りしてくれる伴侶がいたら、と考える。
夜遅く家に帰っても子供と一緒に寝てくれていて、保育園や習い事の準備や送り迎えをしてくれて、保育園や学校のイベントごとには必ず参加してくれる。保護者会や地域の役割もそれなりにこなし、子どもが病気になったときは、いつでも病院に連れていってくれ、看病してくれる。そんな人がいるだけで、随分気が楽になるのだろうと思う。今は、保護者会の役割も地域の役割もたいして出来ず、正直肩身も狭い。
主婦というものが決して楽ではないことをわかっているのに、主婦を羨ましく思ってしまうことが割と多い。
主婦である妻に感謝しつつ生活できている夫はすごいと思う。
もし私が男だったら、きっと妻が主婦であるより、ある程度仕事を持っていた方が対等な関係でいられるのだろうと思う。
自分に何かあったとき、妻も働けると思えた方が安心だ。あってはならないことだけど、仕事でストレスが溜まったとき、賃労働をしていない妻を羨ましく思うかもしれず、偉そうな態度をとったり、イライラを妻にぶつけるかもしれない。
もし、妻が何らかの理由で、働けなかったとしても、ボランティア的なことや趣味で人とのつながりがあり、何か好きなことに打ち込んでいる人の方を魅力的に思うような気もする。
など、色々シミュレーションして考えてみたけれど、最終、目指したいのは、伴侶が、例えば病気で、家から一歩も外に出られなくなったり、家のことを何もしなかったとしても、役立たず、自分ばっかりなぜ辛い思いをしなければならないのだろう、などと思ったりせずに、共に生きたいと思えるくらいの愛を持てることだなぁ、と思う。人を手段とはしたくない。
そういう理想は持っても、そのようには出来なかった場合の自分もまた認められるようでありたいと思う。