Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

DV・被害者のなかの殺意

北村朋子著『DV・被害者のなかの殺意-ネット依頼殺人の真実』を読んだ。つい最近、杉山春著『ルポ虐待ー大阪二児置き去り死事件』を読み、加害者とされた虐待親について知れば知るほど虐待親自身が被害者であった事実を知ったが、被害者が追いつめられて加害者になってしまうという構造は、矛先が子に向かってしまう児童虐待も配偶者に向かってしまう夫婦間のDVも同じであった。さらに言うと、少年犯罪や国家間紛争の構造も一緒だと思う。被害者であったものが、追いつめられて加害者に転じてしまう。

メディアは、凶悪な犯罪を起こした人と自分たちとの「違い」を印象づけるように、悪く書くことによって社会に対して安心感を与える。罪を犯す人たちは、元々凶悪な人種であり、自分たちには関係のない出来事のように印象付ける。そうしないと自分たちとの違いが消えてしまい、善悪の境界が消えてしまうからだしかし、こんなに「普通の人」たちが、なぜこのような凶悪な事件を起こしたのかという事柄についてせっかく考える契機を、それでは失ってしまうのだ。(北村朋子著『DV・被害者のなかの殺意-ネット依頼殺人の真実』)

私自身の経験でも、DV夫を自分の手で殺そうとはさすがに考えなかったけれど、「交通事故にでも遭って死んでくれたら良いのに」と切望したことはあった。さらに、「悪魔がDV夫の命を奪ってくれると、もし私を誘惑したら、それと引き換えに私はどこまで悪魔に差し出すことができるのだろうか」、と非現実的なことをずっと考えていたこともあった。DV被害者が加害者になりうるということは、当事者である私にとって容易に納得できる。被害者が加害者と同じレベルの行動をとるところまで堕ちてしまわなければ、まわりが気付いてくれなかったり助けてくれなかったりする場合もまた多い。

検察官の主観的判断が混在した調書、いわば検察に都合良く作られたストーリーである調書をもとに、裁判官はその人の人生を判断する。当然、その調書は真実ではない場合が多い。2009年からはじまった裁判員制度だが、事件を裁く側になる裁判員には表面的な事実の背景まで見る視点を持って欲しい。しかし、いくら本人にその気があったとしてもあらゆる情報が与えられるかと言えばそうでもないだろうことが残念だ。

DV・被害者のなかの殺意―ネット依頼殺人の真実

DV・被害者のなかの殺意―ネット依頼殺人の真実

 

 

ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)

ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)