Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

モラ夫に「話せばわかる」は通用しない

DVやモラハラのことを誰かに話すと返ってきがちなのが、あくまで同情的な態度を示しつつの「私だったら我慢しないで言いたいことを言うよ、戦うよ」という言葉です。

DV被害者、モラハラ被害者というと「自分の意思をきちんと伝えられない弱い存在である」というステレオタイプなイメージがあるようだけど、これはまったくの誤解です。いじめられっ子、パワハラ被害者などにも同様のイメージがつきまとうけれど、それもやはり誤解なのだろうと思います。

私自身の話をすると、口喧嘩にはどちらかというと強い方で、学校でも職場でも自分の意見ははっきり言う方でした。それは「話せばわかる」と思っていた相手だったから出来たことなのだと思います。つまり、DV夫、モラ夫というのは「話してもわからない」相手なのです。

五・一五事件の時、犬飼毅首相は「話せばわかる」と言ったに関わらず、「問答無用」で殺されました。私もかつてはモラ夫を信じていたので「話せばわかる」と、どれだけ努力をしたかわかりません。話を持ちかけることが痛みを伴うことはわかっていても、「言葉を尽くしたらいつかはわかってくれる」と思って、血を流しながら話し合いを続けることを乞いました。私の状況をみかねた私の両親、親戚や友人までもがモラ夫に話をしてくれました。

でもモラ夫に対しては意味がなかったばかりか、その「話」を妄想で膨らませ、被害者意識を高め、私の側を加害者にしたてあげようとしました。そうして私はそれ以上話をすることを無力と感じたばかりではなく、恐ろしいと思うようになったのです。つまり、戦わなかったわけではないのです。自分なりに出来る方法で戦って、身を守る戦法に切り替えたと言う方が正確だと思います。それでも少しずつ力の強いモラ夫に守りを崩され、ぼろぼろになった姿はか弱い存在に映ってしまったかもしれません。

「私だったら我慢しないで言いたいことを言うよ、戦うよ」と、以前の私なら言ったかもしれません。それほどまでに私は人を信じていました。「話せばわかる」が通用しない相手というのは世の中にいるのです。どうか殺される前に身を守ってください。