Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

「家族という暴力」芹沢俊介著

子どもへの虐待がメインテーマで、もともと関心のあった男女間DVについては全5章中1章しかさかれていなかったが、第4章「遊びを奪うという暴力」は、自分自身の子育ての中で参考になるものだった。柳田国男の遊び論をひいて、「遊びを奪うことは、それ自体が虐待であると同時に子どもたちを暴力的にする要因となりかねない」ということを説明している。現代の遊びのことごとくが大人が与えたものであり、子どもの自治が喪失しているとのこと。

ちょうど私はこの本を読んだ日、子どもと歩いていて道に落ちていたナイロン袋を子どもが拾って愉しそうにおもちゃにしていたのを「汚いから捨てようね」と奪ってしまっていた。「遊びを奪うという虐待」をそうと思わず行ってしまったことを深く反省した。

幼い子どもが道に落ちているモノに目をつける。よちよち近づいていって拾おうとすると、そばいついているたいていのお年寄りや母親は「汚いから拾っちゃだめ。ばっちいでしょ」というふうに制止します。確かに落ちているものは汚い、何がついているかわからない。それはそのとおりかもしれません。不潔にたいして神経質になっている現代では、こうした傾向に加速がついていることも確かです。

しかし路傍の石ころや木切れを子どもが口に入れたからといって、怖い病気に感染するなどということはほぼありません。かえって家のなかにあるモノの方が危険性の高いものが少なくないのです。

それよりも子どもが道端に落ちているモノに目をつけ、近づき、拾いあげて、吟味するという一連の行動は、すでに遊びなのだということを知っておくことの方がよほど重要であると考えます。

冒頭に記したように遊びを奪い去ることは虐待です。大人は虐待と思わずに、虐待へと近づいているのです。 (「家族という暴力」芹沢俊介著)