Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

宗教と医者

好きな人が何人かいる。その人の言葉を聞くと元気が出たり、希望が湧いたりすることがある。その人の考えをを素晴らしいと思い、その人が存在している(していた)ということだけで救いになる。
その人は、身近な恋人であったり、師であったり、会ったこともないミュージシャンだったり、もう死んでしまった作家であったり、様々だ。きっとそれが、なにかの宗教の教祖である場合もある。誰かの言葉が救いになるという実感があるので、何かの宗教を信奉している人の気持ちというのは何となくわかる気がする。
福祉の仕事をしていると、大変な思いをした人は、宗教にハマることも多いのかもしれない、と実感する。私も、自分の力ではどうしようもない無力感を持った時、理不尽なことにどうしても納得できないとき、言葉を探して、多くの本を読んだ。
関係ないようにみえるけれど、私は先日、病院で、2週間、自然には治癒しなかった身体の症状(鼻水が止まらない、嗅覚がなくなったこと)に、病名をつけてもらった。症状の理由を実際の映像(鼻腔内の膿)で確認し、ほかの症状(頭痛と眼痛)も医者に言い当てられ、薬の塗布等の処置をしてもらい、どうしたら治るのか方向性を示してもらった。この医者に救われたと思った。きちんと指示に従おうと思った。宗教と、ちょっと似ていると思う。
医学は科学的に基づくと言われているけれど、心理的なことも、人の状態に大きな影響を与える。それを示すデータも膨大にある。
宗教は、それを信奉する人にとって、病を治療する医者と同様、必要なものなのだろう。
宗教の何が問題かと考えると、ほかの考えには耳を傾けないようになる人がいること、その宗教(考え)にはまり込んでしまう人がいること、他者に強要してしまうことなのかな、と思う。排他的な部分や、集団圧力がない宗教なら、それほど害にはならない気がする。
きっと私は今日も仕事に行った先で宗教を勧められるのだろうな、と思いながらこんなことを考えた休み時間でした。