Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

優生思想について

障害者福祉に携わるものとして、おさえておかなければならないと思っていたのが、優生思想についてだ。障害のある人が子孫を残すことを絶たれるだけでなく、今を生きる障害のある人の存在がただちに否定されるという考え方だ。恐ろしいことだけれど、2016年の「やまゆり園事件」に象徴されるように、今現在の日本にも根深くある思想だ。

藤井克徳著「わたしでさいごにして-ナチスの障害者虐殺と優生思想」を読んだ。
ナチスのT4作戦についてや、日本における優生思想について書かれた本である。
日本の優生保護法には、精神障害者知的障害者ハンセン病の人が妊娠した場合に、人工妊娠中絶の規定があった。この規定に則り実施された人工妊娠中絶件数は、確認されているだけて5万8972人となっているという。精神障害者知的障害者においては本人の意思が無視された。拒むものにおいては、身体を拘束しても、麻酔薬を用いてもかまわなかった。
被害の実体は社会の表面に浮上することはなかったが、大きな転機があったのは、つい最近、2017年のことである。同意なく不妊手術を受けさせられた知的障害のある60代の女性が提訴に踏み切った。2018年、優生保護法の施工から70年にして初めて訴訟が起こされている。70年間も封印状態にあったということが、不思議でならない。戦後の人権教育はいったい何だったのだろう。しかも、今年2019年、5月の判決では、法律が憲法に違反するものであったと認められたものの、損害賠償請求権は消滅されたとの判断で、国会が賠償するための法律を作らなかったことも認めず、原告の請求が棄却されている。
福祉国家として私が憧れているスウェーデンも、1934年にスウェーデン不妊法を制定し、以降40年間あまり、福祉国家を維持するため、国家の安定運営を優先し、優生政策を強力に推進していたようだ。財政面で負担の多い障害者が産まれてくることが不都合だったようだ。
ノーマライゼーションの理念の推進と不妊法が一定期重なっていたというのが興味深い。
>>
(やまゆり園事件の)植松被告が主張するように障害者の存在を否定するのであれば、そらは社会そのものの否定に他なりません。そして、未来の自分自身をも否定してしまうのです。社会のあり方も、個々の人生設計も、障害を抜きには考えられません。
<<
できることは何か、ということで著者が提唱するのは、まず知ること、そしてわかること、伝えること、動くこと、ということだ。動ける人間になれたらいいな、と思いつつ、動けていない現在の私が出来ることは、まず知るために動くことだ。今から本屋に行こう。

わたしで最後にして: ナチスの障害者虐殺と優生思想

わたしで最後にして: ナチスの障害者虐殺と優生思想