Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

だからモラ問題は難しい。

辛いとき、苦しいときに、それをわかって欲しい、受け止めて欲しいという気持ちは、きっと多くの人にあると思う。それをわかってもらえなかった時に、怒りや悲しみになる場合が多い。夫婦間の不和や、親子間の虐待など、近しい相手という甘えがある分、その感情の程度は強くなると思う。

二者のうち、一方に余裕がある時は、相手の気持ちに寄り添うように努めることができる。でも、余裕が無い場合は、私だってしんどいのに、という気持ちが出てくることがある。それが、赤ちゃんと母親だった場合、母親は、常に寄り添う役割を求められる。それが、要介護者(高齢の親や障害者など)とその子や親であった場合、やはり常に介護や看護の役割が求められる側は決まっている。

さて、このブログのテーマにしているモラ夫は、自分に寄り添うキャパシティはないけれど、受け止めて欲しいという気持ちが特に大きいという特性を持っている。寄り添う役割を求められた側は、主観的に相手の状態を想像し、自分の状態と比較し、自分が我慢をすべきと自分に言い聞かせる。身体的、精神的なものを含めた総合的なしんどさは、客観的に数値化できるものではない。母親だから、妻だから、主婦だから、若いから等の役割がもつイメージも手伝って、寄り添う側が、その苦しさを口にするのは見苦しいことや甘えのように思われる場合がある。

口には出せない不平等感を同じ立場の人と共有できれば、少しはガス抜きになるけれど、それが蓄積されると、いつか爆発する。

だからこそ、子育て支援や、高齢者福祉、障害者福祉のような外部サービスの存在や、その利用が不可欠になる。児童・障害者・高齢者を受け止める福祉制度が十分機能しているかどうかは別として、あるにはある。

しかし、モラ夫を受け入れる福祉サービスはない。飲み屋のママさん?には、モラ夫は良い顔をするだろう。モラ夫の実母?にも、モラ夫は妻にみせるのとは別の顔をみせるだろう。精神科医?のところになんて、モラ夫は進んで行くはずがない。

だから、モラ問題は難しい。