映画「子ども食堂」を観て
映画はそもそもがフィクションだ。だから、フィクションだなぁ、などと、ことさら感じながら観ることはない。
でも、この映画は、フィクションだなぁ、と思いながら観た。それは、この映画に描かれている子どもの貧困を、私がこの目でみて知っているからだ。
タイトルとなっている「子ども食堂」は、もう5年以上前に一時期ニュースを賑わせていた。時を同じくして、私はひとり親になり、子どもの貧困を自分のこととして受け止め、社会福祉士を目指した。その後、ソーシャルワーカーとして働くことが出来たに関わらず、その仕事は重すぎて、辞めることになった。
辞めてしばらく、意識的にではないけれど、この問題を避けてきた気がする。
この映画の存在は知らなかったし、観ようと思って観た映画という訳でもない。
たまたま、ひとりの時間が出来て、都合よく観ることが出来る場所と時間帯にこの映画があった。気が進まなかった。なぜなら、子ども食堂は、様々見学してるし、取材を受けて発言したこともある。私にとって目新しいテーマではなかったから。
観始めてからも、少し後悔した。なぜなら、観るのが苦しかったから。
この映画は、子どもの貧困についてはもちろんだが、子どもの大人を信頼できない、という気持ちをよく表現していた。大人を信頼できない気持ちを思い出した。この映画は、信頼できる大人もいることを伝えたかったのだろうとは思う。
でも、私は、大人になった今でも大人を信頼できていない。信頼できる人もいることはわかっているけれど、誰を信じて良いのか、わからない。信頼される大人になりたくて、ソーシャルワーカーを目指したのに、挫折した。
色んな気持ちが蘇り、涙が止まらなかった。
今、渦中にある人にはオススメしない映画だ。
だけど、この映画に出てくる食堂の夫婦のように安定している人たちに、是非観て欲しい。そのために、フィクションっぽさをあえて加えて豪華キャストで制作された映画なのだろうと思う。
公式サイト
https://kodomoshokudo.pal-ep.com/
予告編