Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

建設的な怒り

下書きのまま終わっている記事にこんなものがあった。

仮にも世界史や日本史を学び、テレビのニュースを耳にし、世の中本当にひどい人間がいるということは学んでいたはずである。でも、実際、現実の私の生活空間の中には彼ほど悪質な人間はいなかった。この年になってようやく世の中にはひどい人間がいるということを実感として得られたということは幸か不幸か。今後物事を考えていく際に深みが出るのなら幸いだ。

エドワード・サイードは、「自分には怒りはあるが、憎しみという感情はあまりわからない」と言っている。憎しみにくらべて怒りは建設的であると。なるほど、怒りと憎しみと現在混在した私の気持ちは、建設的な怒りに持っていきたいと思う。

銃により安心が確保できるどころか、むしろそれが不安を掻き立て、さらにみずからの暴力性を引きずり出すというようなことになっては、彼と同じ穴のむじなだ。

以上が、下書きのままに終わっていた書きかけ記事だ。このあと、何を書きたかったのかは思い出せない。

現在の私は、元夫に対する憎しみはほぼないかな、と思う。また元夫に会ったりしたら復活してしまうのかもしれないけれど、怒りもほとんどない。過去を思い出すと、残念な気持ちというのが怒りより大きい。

そして、たまにDVの渦中にある人の話を聞くと、その相手に対する怒りが湧き上がるといった感じだ。

これでいいのかな、と不安になる。

建設的な怒りを保ち続けることのほうが辛いけれど、あえてそうして闘ってきた人たちの成果を受け取り私は生きているのだし、自分の経験を活かし、次の人にバトンを渡して行きたいな、と思う。