Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

子どもの泣き声に苦情を言われる

他人から怒りを受けるダメージは大きい。GWに入る前、私は泣き叫ぶ子どもを静かにさせることが出来ず、近所のおばさんからお叱りを受けてしまった。窓は閉めきっていて、昼間だったけれど、子どもの大きな声は確かに近所に筒抜けになってしまう構造の家なのだ。騒音に対する苦情は当然のことで、子どもを上手にしつけられていない自分を責めるほかないのだけれど、以来、ずっと暗い気分が続いていて、気分転換に出かけてみても心は晴れないでいる。なんとか、子どもを泣かせない方法を考え、この落ち込んだ気分を上げなければ、と少しあせっている。

苦情を言いに来たおばさんは、「子どもが泣いたら気分を変えさせるために、どこかに連れてでなければだめなんだから」と対策まで何度も繰り返し言って私を非難した。「泣いている子どもを、興奮したまま外に連れ出すことで、泣き止んでくれるならそんなに楽なことはないからいくらでもするのに」という言葉を飲みこみ、私はただひたすらに謝った。

「居場所がない」と感じたのはこれで何度目だろうか。今回近所のおばさんが苦情を言いに来た気持ちも十分わかる。ストレスを溜められて無言で嫌がらせをされるよりはハッキリ言ってもらった方がありがたい。でも、残念ながらおばさんの提案した対策は、私の子どもに有効な対策ではない。騒音の源をとりあえず自分の地域から遠ざけて欲しいだけなのだろう。車を持っていたら、とりあえず子どもを車に乗せて人のいない場所にいけるのだけれど、私は車も持っていない。

これまで以上にびくびくしながら肩身の狭い暮らしをしなければならないな、と思う。それが子どもにも私にとってもストレスの大きなものであることも確かだ。泣いている子どもが気持ちを静めるまで待つことの自由は今の私の生活にない。子どもを待つのではなく、私が主体的に関わって泣き止ませなければならない。子どもも思う存分泣く自由がない。

私の育った家は持家の一軒家で、昼間はピアノを弾いても、笛の練習をしても、ある程度音を立てても大丈夫な家だった。私は、人目を気にすることなく、泣いたり怒ったりできた。

隣りの家の音が聞こえない住まいというのは、プライバシーが守られる反面怖ろしい。音が筒抜けでプライバシーが守られず、肩身の狭い暮らしというのもまた苦しい。

でも、やっぱり自分が生まれ育った居住空間のようにある程度大きな音を出せる自由を子どもに確保したいな、と思った。もっとお金を稼げるようにならなければいけない。