Ally Bally Bee

夫のDV・モラルハラスメントから逃れて娘と二人暮らし。全ての人が生きやすい社会になることを願いつつ、今ひとり親 として出来ることをあらゆる角度から考えていきます。

もし私が死んでも―児童養護施設のドキュメンタリー『隣る人』を観て

シングルマザーになり、児童養護施設には以前より関心を持つようになりました。私は一人っ子で、両親とは別に住んでいます。両親共に高齢ということを考えると、私と両親が死んで、子どもに養育者がいなくなるということは十分あり得るわけです。「自分が今死んでしまったら」ということが頭をよぎらない日はありません。その意味で保育園に子供を預けているということはありがたいことです。私がお迎えにいかないということで、私の異変に気付いてくれる人がいるということだからです。これがもし二人きりで過ごしていて、私が家で突然死した場合、残された子どもも誰にも気づかれないまま飢え死にしてしまうかもしれません。

仮に私と両親が死んだ場合、DV夫のもとに引き取られるということは一番恐ろしいことなのですが、それを免れたとしたら、子どもは児童養護施設に入所する可能性が高くなります。その場合、児童養護施設の養育環境というのはよくわからないだけに非常に気になっていました。施設職員による虐待のケースもあることを思うと不安は募るばかりです。

そんな不安の中で観た刀川和也監督『隣る(となる)人』児童養護施設「光の子どもの家」の生活を8年間にわたって撮ったドキュメンタリーです。

地方のとある児童養護施設。ここでは様々な事情で親と一緒に暮らせない子どもたちが「親代わり」の保育士と生活を共にしている。マリコさんが担当しているのは、生意気ざかりのムツミと甘えん坊のマリナ。本来、親から無条件に与えられるはずの愛情だが、2人にとっては競って獲得しなければならない大事な栄養素。マリコさんを取り合ってケンカすることもしばしばだ。そんなある日、ムツミの母親が、ふたたび子どもと一緒に暮らしたいという思いを抱えて施設にやってくる。壊れた絆を取り戻そうと懸命に生きる人々の、平凡だけど大切な日々の暮らしは今日も続く。(映画チラシより)

「トナルヒト」という言葉は最初聞いた時、「怒鳴る人」と聞き取ってしまったくらい耳慣れない言葉でしたが、光の子どもの家の理事長が作った造語だそうです。映画を観終わった時、「隣る人」という言葉は私の中の言葉にもなりました。字幕や説明を排したドキュメンタリーですが、タイトル「隣る人」という言葉に、カメラをまわした監督と、撮影を許した理事長の様々な想いが凝縮されているような気がします。

「光の子どもの家」は、こんな児童養護施設だったら安心できると、私が当事者性を持って感じることのできた施設でした。

『隣る人』予告編 ↓ ↓ ↓

http://www.tonaru-hito.com/trailer.html